僕は田舎町で育って、小さいころから勉強嫌いでした。学校の勉強は本当に嫌いで、学校から帰ってくるとすぐ洋服を着替えて外に飛び出て、暗くなるまで遊んでいて、週末ももちろん一日中遊んでいました。宿題とか勉強はほとんどやりませんでした。
それでも高校を出て、僕は大学に入れました。アメリカの大学は非常に入るのは簡単。でも勉強しないとすぐ追い出されます。僕は大学に入っても、全然勉強する気にはなりませんでした。それですぐ大学から追い出されました。
そして1970年、ちょうどアメリカがベトナムで戦争をやっていた頃、アメリカでは徴兵制度がありました。つまり、若い男の子が兵隊に入りたくても入りたくなくても、入るのです。今、アメリカは日本と同じ、志願兵制度です。でも僕の若い頃は徴兵制度がまだあったので、僕は大学から追い出されてすぐ兵隊に拾われました。ある日一通の手紙が来て、「おめでとうございます。あなたはアメリカの陸軍に選ばれました」と。僕にとって何もおめでたいことはないけれど、しょうがなくて兵隊に入りました。
そして、僕は兵隊として初めて日本に来ました。そのときに僕は特に日本に行きたいという気持ちはありませんでした。正直に言えば、日本については何も知りませんでした。日本はどういう国であるとか、日本人はどういう人であるかは全くわかりませんでした。でも、僕は日本に行くことがわかった日、ものすごく喜びました。友達を呼んで大きなパーティをしました。なぜかといえば、僕から見ればベトナムでなければどこでもいいと思ったからです。とにかく戦争に行きたくないから。ベトナムではなくて、兵隊として日本に行かされたことは僕にとって非常にラッキーだったのです。
まず、僕は世界の地図を持ち出して、日本はどこにあるかを確認しました。どこが日本、どこが韓国、どこが中国、そこまでは知りませんでした。日本がどういう国であるかも全くわかっていませんでした。ですから、30年前、僕は兵隊として日本に来て、1年半の兵役を終わったらすぐ自分の田舎に戻るつもりで日本にやってきました。
でも、30年経っても僕はまだ日本にいるのです。
日本のお嫁さんをもらって、日本語を勉強して、日本全国を旅しました。僕は2年間、北海道の小さな漁村で暮らしました。20年ほど前に結婚して、大阪に住みましたが、お金がなくて、女房と2人で自転車に乗って漁村回りをしました。四国の海岸線をずっと通って、そこから九州に渡って、九州の海岸線の漁村に立ち寄りながら、自転車で一周しました。女房は今でもそのことについて文句を言っているけれど、僕はそのぐらい日本に惹かれたのです。
僕は今アメリカにも家があって、日本にもアパートを借りています。ですから、行ったり来たりしています。アメリカに帰る度に、友達とか親戚は、ケビンがなぜ日本にそういう風に興味を持ったのか、日本は本当におもしろい国か、ケビンは日本では何をやっているか、何を研究しているかを聞きます。
そういうとき僕は「日本の自然に惹かれている、そして、その自然だけではなくて、その自然の中で暮らしている人々の暮らしぶり、歴史、文化、そういったものにも惹かれている」と答えます。
しかし、皆はわかってくれないんです。「よくわからないな」といつも言われます。なぜかといえば、海外の人の頭にある日本とか日本人のイメージが現実と全然違うのです。海外に行くと、日本といえばほとんど「モノを作っている国」です。
アメリカ人とかヨーロッパ人の頭の中にある日本という国は、すべて「製造」から来るのです。つまり、日本という国は端から端まで工場が敷いてあるというイメージがあります。たぶん一般的な欧米人の頭にある日本は、東にはソニーがあり、西にはトヨタがあり、その間に任天堂があるというイメージです。ですから、海外に入ってくる日本の情報はすべて作っているモノから来るのです。
日本は「製造の国」としてのイメージが非常に強い。また、最近はテレビゲームとかマンガとかアニメとかも海外に広まって、日本は「幻想の世界にある国」イメージ、仮想現実にあるイメージも非常に強い。皆そういう風に思っているので、僕が日本の自然を、日本の自然の中で暮らす人々のことを勉強していると話すと、よく理解してくれないのです。