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これは何かの骨ですが、彼らに言わせれば人骨だということで、あちこちにバラバラとありました。もちろん戦争のころは、このへんの島はどこでも日本兵が何人か来ていましたし、ホロ島などでは6000人ぐらいの日本兵が死んでいます。このバランギンギというのはホロ島から少し離れた島ですが、19世紀になると、ヨーロッパ列強はアジアの海賊を徹底的に叩きました。
それまでのように、海賊の船と一隻、一隻が戦うのではなく、とにかく海賊の本拠地を叩けということで、このバランギンギ島でも女、子どもを含めて、彼らから見れば大虐殺、スペイン側から見れば海賊村を殲滅したという事件が起きています。
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実はここに海賊の船が沈んでいるというので行ったのですが、何力月か前に誰かが持っていってしまったのではないかということで、跡形もありませんでした。とにかくこういったマングローブ地帯ですから、何か残っているとしても、あっという間に全部覆われてしまいます。こういった熱帯生命の再生のものすごさは、人の命も結構軽く見させるのではないかと思います。人を殺しても、すぐにまた別の命が生まれるという感じがします。
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これはホロ島です。町の中心には当然イスラムのモスクがあります。いまキリスト教徒もかなり来ていまして、アブサヤフに対する誘拐事件がずっと続いているものですから、フィリピン政府軍がここに来てドンドンと爆撃し、市民は皆逃げている状態らしいです。その以前にMNLF(モロ民族解放戦線)というのがいて、1970年代、74年ぐらいにフィリピン政府との戦争がありましたが、それ以来ずっと引き続き危険な状態が続いているということです。写真は以上で終わらせていただきます。
ぴったり1時間になりましたが、少し補足します。東南アジア海賊の特徴ということでいま見ていただきましたが、最初に海で生きる人々、いわゆる海洋民族のような人々を中心とした港市国家があり、そこでは海賊が一つの正業として行われていたということです。