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室町時代になって将軍のところに来ますが、しかし室町将軍は全国を支配しているわけではなく各守護がいる。九州は大友がいて、山口は大内がいて、と分国支配になっています。だから将軍に言いに来られても困ると言っています。お答えになっていないので恐縮ですが、原因もあろうかと思います。

それから倭寇という言葉が出てくるのは鎌倉ぐらいです。そのときの言葉は倭寇ではなく、倭金州を冠すと場所を言うのです。襲った場所が下に必ず入っていて、固有名詞になっていないのです。これがいわゆる対馬や壱岐や北九州の連中が、ある程度集団で盗賊行為を繰り返すと倭寇が来たとなる。お話のところは、どこどこを襲ったというその前の段階だと思います。かなり前期の倭寇と後期の倭寇とは違います。とくに北九州と朝鮮半島との関係です。これも大変興味深いと思います。

司会:最後にもう一方、手を挙げた方で最後の質問とさせていただきます。

質問:後期になると思いますが、タイに行った山田長政とか、ベトナム・フィリピンにあった日本人町と倭寇は関係があったのでしょうか。

宇田川:先ほど申しあげましたが、倭寇は日本人がそう言っているのではないのです。中国と朝鮮でそう言っているのです。だから日中戦争のときも倭寇と向こうの人は言うかもしれません。それから文禄慶長の役も倭寇であると言っています。今日お話したストーリーでは海禁が解かれて密貿易ができない状況になれば、その意味での倭寇はなくなる。そういう意味です。

司会:よろしいでしょうか。お時間となりましたので、これで第3回目のセミナーを終了させていただきます。宇田川先生どうもありがとうございました。(拍手)

 

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