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順風帆走(真帆)

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逆風帆走(片帆)

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〔弁才船の帆走性能〕

弁才船は順風でしか走れないとよくいわれてきましたが、そんなことはありません。横風帆走を意味する「開(ひら)き走り」や逆風帆走を指す「間切(まぎ)り走り」といった語は、すでに17世紀初頭「日葡辞書」に収録されています。弁才船の逆風帆走性能は、ジャンク(中国船)やスクーナー型などの縦帆船(じゅうはんせん)に比れば劣りますが、バーク型などの横帆船(おうはんせん)より優れていました。弁才船の耐航性と航海技術の向上した江戸時代中期ともなると、帆の扱いやすさとあいまって風が変わってもすぐに港で風待ちすることなく、可能な限り逆風帆走を行って切り抜けるのが常で、足掛け4日も間切り走りを続けた例もありました。

 

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逆風帆走する小型弁才船

福井県小浜沖を、逆風を受けながら風上一杯に切り上げで快走する12反帆(たんぽ)(約150石積)の北前型弁才船。大坂と江戸を結ぶような長距離輸送(大回(おおまわ)し)に対し、近距離輸送(小回(こまわ)し)に活躍したのが、200石積以下の小型商船でした。この写真を見れば、1枚帆の弁才船は追風でしか走れなかったという通説がいかに誤りだったことかはっきりするでしょう。(所蔵:井田写真館)

 

江戸時代後期の航路

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沖乗りと地乗り

江戸時代の航海は、陸上の目印を目当に航海するいわゆる地乗り(沿岸航海)でしたが、遠く沖あいの直航路をゆく沖乗りも行われていました。沖乗りは地乗りよりも航程が短く、航海日数を短くすることができます。弁才船の耐航性能が向上するにつれ、江戸時代中期からは日本海や北方海域でも昼夜連続の徹底した沖乗りが日常化し、たとえば北海道の松前から大坂に向かう船は、佐渡ケ島の沖を一気に下関まで乗り下って瀬戸内海に入っています。

 

 

 

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