左の番船は、船首に弥帆(やほ)・中帆(なかほ)・伝馬帆(てんまほ)をあげ、船尾に艫帆(ともほ)を張っています。右の番船の本帆の脇に張られたのが副帆(そえほ)で、これらの帆装を見ると番船がいかに帆走性能の向上に努めていたかがよくわかります。こうした帆装は、当時導入され始めた洋式船か来航した西欧船の影響とみてまず間違いありません。安政6年(1859)のレースで所要時間50時間、平均速力7ノットを記録した番船は、こうした帆装の船だったのかもしれません。新綿番船は、現代の帆船レースと違って大量の荷物を積んでのレースだっただけに、航海技術の向上に大いに役立ったことでしょう。