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菱垣新綿番船川口出帆之図(ひがきしんめんばんぶねかわぐちしゅっぱんのず)
新綿番船とは、大坂周辺で秋にとれた新しい木綿を積み込んだ菱垣廻船によるスピード・レースのことで、江戸十組問屋(とくみどいや)成立の元禄7年(1694)から明治時代初期まで行われました。
大坂を出帆し、ゴールの浦賀への到着の順番を競ったことから当時は番船を「ばんぶね」と呼んでいました。新綿番船はその順位が賭(か)けの対象となるほど人気を集めた華々しい年中行事でしたが、単なる競走にとどまらず、その年の新しい木綿の値段を決めるという重要な役割もあわせ持っていました。
船頭達は少しでも早くゴールしようと航海や帆装に工夫をこらしたので、幕末の安政6年(1859)には1着の番船の所要時間が50時間(平均速力7ノット/時速13キロメートル)との大記録も達成されました。
下の図は含粋亭芳豊(がんすいていよしとよ)作の『菱垣新綿番船川口出帆之図』と題された三枚続きの錦絵で、切手を安治川岸に臨時に設けた切手場に受取りに来た船頭の乗る上荷船(うわにぶね)と、それを見物する多数の屋形船や川岸の群衆のお祭り騒ぎを中央に、右上方に安治川口の天保山(目印山)沖に碇泊する7隻の番船を描いたものです。
当時のにぎわいが伝わってくるような、臨場感のある錦絵です。