このことから、元はロンドンの貴金属商R&Cギャラード社が制作した製造原価をカップの名前にした「100ギニー・カップ」は、優勝した船の名前をとって、アメリカズ・カップと呼ばれるようになったのです。“アメリカ”がイギリスのヨット界に与えた影響は大変大きなものでした。“アメリカ”は鋭い船首と広い船幅、ブームに固定された機械紡(つむ)ぎの木綿(もめん)のセイル等の特徴を持ち、どの方向の風に対しても速いものでした。これに対しイギリスの船は、船首が丸く幅が狭く、リグが複雑でルーズフットのため風が当たると伸びてしまうリネンのセイルを使っていました。翌年のシーズンにはイギリスの一流のヨット乗りは、船を造り替え、“アメリカ”と同じようなリグに代え、そしてアメリカ人の帆走技術を身につけるようになっていたくらいです。
近年、アメリカズ・カップの予選レースが開催されていますが、これは1983年(昭和58)、5カ国のチームが同時に“アメリカ”に挑戦したことにより、アメリカズ・カップの挑戦艇を決定する予選シリーズを急遽開催する必要があったためで、これがルイ・ヴィトンカップの始まりです。このレースの勝者がアメリカズ・カップに挑戦する権利を獲得することができ、第一回目のルイ・ヴィトンカップの勝者“オーストラリアII”はアメリカズカップを獲得し、132年間にも及ぶアメリカの独走態勢をうち破りました。これはアメリカが132年間手にしてきたカップが、遂にアメリカを離れるときでもありました。“オーストラリアII”が優勝したとき、世界中が沸き返りました。ホワイトハウスにオーストラリアチームを招いたとき、レーガン大統領は「カップの台座の留め金はあまり堅くしないように。すぐにアメリカが取り返すのだから(NYYCはカップの台座をボルトで固定していた事をふまえて)」と言ったそうです。