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2. 最初の記念絵はがき

観光地や文具店で良く見かける絵はがきのルーツは、1869年(明治2)オーストラリアで郵便料金を含んだ定型の「官製(かんせい)はがき」です。1870年代には印刷技術の進んだドイツを中心に、定型はがきの裏面に風景や写真を印刷した「絵はがき」が売り出され、これが大流行しました。日本では明治維新(いしん)直後の明治4年(1871)に郵便制度が導入され、明治6年(1873)には官製の郵便はがきが発行されましたが、私製はがきの製作は明治33年(1900)まで認可されませんでした。明治37年(1904)に発生した日露(にちろ)戦争下、大陸で戦う将兵への私信や慰問に、文面を検閲(けんえつ)するのに簡便な「郵便はがき」の使用が普及しましたが、私製はがきの解禁により、これに内地の風景や風俗を描いた私製の「絵はがき」を使用することが流行しました。これがその後の絵はがき普及の一因となったといわれています。「進水記念」の絵はがきはすべて私製はがきとなります。艦船の進水記念として現在知られているものでもっとも古いものは、明治38年(1905)に進水した戦艦“香取(かとり)”ではないかと思われます。同艦は英国のヴィッカース造船所で進水しましたが、このときの写真を入手した三越呉服店(現在の三越百貨店)が進水記念として製作・配布したもののようです。当時から英国を中心に、艦船の進水式参列者に対する贈呈品(ぞうていひん)として、完成予想図を印刷し台紙に貼り込んだものを配布していたので、おそらくこれに習って簡便な記念品として当時流行していた絵はがきとしたものではないかと思われます。以降、初の国産大型艦である“摂津(せっつ)”や“薩摩(さつま)”などの進水または竣工に際し、海軍工廠および民間造船所が一枚物の絵はがきを作成し始めました。戦前の艦艇の進水記念絵はがきとして、2枚組みタトウ入りのスタイルが確立したのは1910年代になってからのようで、各工廠や造船所が競うように多色刷りの進水記念絵はがきを製作・配布しました。ただし印刷枚数は主力艦や大型艦でせいぜい500組程度、小型艦では出席者がそれほど多くはなかったためか200から300組程度といわれており、現存するものはそれほど多くはありません。また一部の艦艇では、工廠や造船所が製作した正規のもの以外に、乗組員や工員向けに製作され、有料で配布された「進水記念」もあります。「進水絵はがき」は、当時の印刷技術の粋(すい)を集め、多色刷りで凝(こ)った絵のものが多いのですが、大正から昭和初期にかけては、一部に写真を使用したものも多数見られますが、太平洋戦争開戦が近くなると、「進水絵はがき」も防諜(ぼうちょう)の対象となり、進水式に参列した人以外にはどのような艦種が進水したのか解らないものが現れました。またこっそりと進水式が行われた“大和(やまと)”は進水記念の風鎮(ふうちん)が少数製作されて関係者に配布されました。

 

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軍艦“香取(かとり)”進水記念絵はがき

 

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軍艦“蒼龍(そうりゅう)”進水記念絵はがき

 

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“阿賀野(あがの)”進水記念絵はがき

 

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