No.20/36
海をまもるI
1. 進水式の歴史
進水式=命名式で、船の誕生を祝うものです。進水式がうまくいかないと縁起(えんぎ)が悪いとされ、予定どおりに進水できなかったり、シャンパンやワインの瓶(びん)が割れなかったり、特に何かの事故で人が死んだり負傷したりするのは、最も悪い兆(きざ)しだと考えられました。古代、西洋では船を進水させるとき、花や葉を甲板に敷き詰めて船を覆い、酒を注(そそ)いで祝いました。これが中世になると、キリスト教徒の洗礼に似た儀式に変わっていきます。近代では飾りや儀式に変わり、船首から船尾まで色とりどりの旗で飾られるようになりました。くす玉の花吹雪も、こうした古来の習慣が形を変えたものとされています。またヴァイキングは、主神のオージンに対して進水の際に好んで人身御供(ひとみごくう)を捧(ささ)げました。生け贄(にえ)にされたのは囚人(しゅうじん)か奴隷(どれい)で、新造船の下に転がす丸太材に生け贄をつなぎ、船を進水させました。タヒチやフィジーにも似たような習慣がありました。しかし、このような生け贄の習慣は次第に敬遠されるようになり、人間の代わりに動物を使うようになりました。その後、血を連想させる赤ワインに変わったとされていますが、ワインは聖餐(せいさん)後の船の清めとしてローマ時代から用いられていたものです。進水式の赤ワインがいつの間にか白ワインでも良くなり、さらにシャンパンにかわり、割れた瓶の破片が飛び散らないよう銀製のネットで包まれるようになりました。また、禁酒下のアメリカではジンジャーエール、教会伝導船の進水ではミルクが使われたそうです。19世紀の初めまで、イギリスでは軍艦の進水式を取り仕切る役目を全部海軍委員に任せていましたが、1811年(享和(きょうわ)7)、後のジョージIV世となったリージェント王子がその役目に必ず婦人を当てました。現在の進水式では、女性の手により金又は銀の斧(おの)で船首をつなぎ止めている支綱(ささえづな)が切断されますが、ハノーバー王朝では、王女が必ず軍艦の命名者となり、力一杯赤ワインの瓶を船首に向かって投げつける姿が見物だったということです。