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船の科学館 もの知りシート

 

No.1/36

 

船の世界史

 

1. 船の歩み

船が初めて作られたのはいつ、どこであったかは、明らかにすることはできません。

大昔、河や沼のほとりに住んでいた人が、河岸に立って河を渡る方法について考えているとき、流れる流木を見て水に浮いていられることを知り、それにつかまって泳ぐようになったのが、船の思いつきとされています。大昔の人が船を思いついてから、まず、身の回りで手にはいる材料(木、竹など)を並べて、「いかだ」としましたが、これが船の始めと言えましょう。その後、大木が手に入るところでは、それをくりぬいて船としました。これは、「くり船」というもので、丸木船とも言われます。大きな木の無いエジプトでは、ナイル川に生えるパピルス(あし)を束(たば)ねて船にしました。同じパピルスの舟を南米のチチカカ湖周辺で現在も見ることができます。寒い地方では外枠(そとわく)だけを木の枝やクジラの骨などで造り、動物の皮や木の皮を張って船を作りました。

やがて、人類は帆(ほ)を取り付けて風の力を利用したり、オールを両舷(りょうげん)に取り付けて奴隷(どれい)に漕(こ)がせたりと道具を利用していきます。その後長い間、帆を利用した大型の帆船が主流でしたが、外輪船(がいりんせん)や汽船などが近代に入り開発され今日見られるような動力船へと姿を変えました。

 

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アムバッチの枝木を結びつけた「いかだ」

 

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巨木の幹をくり抜いた「くり船」

 

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ハシェプサット女王の船

 

2. “カティ・サーク”

イギリスのグリニッジに、お酒の名前としても知られている“カティ・サーク”というクリッパー船が保存されています。クリップ(疾走(しっそう)する)という動詞からクリッパー(快速大型帆船)という言葉が生まれました。

骨組みは鉄で、外板(がいはん)は木で造られた木鉄交造船(もくてつこうぞうせん)でした。1869年(明治2)から1877年(明治10)までは中国からヨーロッパにお茶を運ぶ「ティークリッパー」として就航(しゅうこう)し、その後「ウール・クリッパー」として1897年(明治30)までオーストラリアからイギリスヘ羊毛を運びました。蒸気船(じょうきせん)の進出に押されてクリッパーとして積荷(つみに)を得られなくなり、その後何度か転売され船名も帆走(はんそう)も変わりましたが、1922年(大正11)イギリスに買い戻され、かつての姿に復元(ふくげん)され保存されています。船名の“カティ・サーク”は、R.バーンズの詩「タモシャンター(シャンター村のタム)」の中に出てくる魔女が着ていた短い下着からとったものです。

 

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“カティ・サーク”

主要目(しゅようもく):

総トン数 963トン

長さ 64.74メートル

幅(はば) 10.97メートル

船質 木造

帆装 3檣(しょう)シップ型

建造年 1869年(明治2)

 

 

 

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