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そして心学を鎌田玄珠に学んでいます。その西谷家の八代目が淇水でした。番組小学校の創立にあたっては下京第四組の小学校開設に尽力しました。

明治五年の福沢諭吉の『京都学校記』は、京都の番組小学校や中学校などを視察した見聞録ですが、そこにはつぎのように記されています。

「京都の学校は明治二年より基を開きしものにて、目今(もっこん)、中学校と名(なづ)くるもの四所、小学校と名くるもの六十四所あり」と書きだして、市民みずからが建設した学校のなりたちとその内容を感動をこめて描いています。

「民間に学校を設けて人民を教育せんとするは、余輩(よはい)積年の宿志なりしに、今京都に来り、はじめてその実際を見るを得たるは、その悦び、恰(あたか)も故郷に帰りて知己(ちき)朋友(ほうゆう)に逢ふが如し。大凡(おおよそ)世間の人、この学校を見て感ぜざる者は、報国の心なき人といふべきなり」

この文章にも、福沢諭吉の感激があふれています。

番組小学校は町会所を核につくられますが、明倫舎は明倫小学校、修正舎は嘉楽小学校(後に中学校)、時習舎は有隣小学校の母体になっています。

 

 

 

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