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心学の再生

西谷淇水は慶應三年の五月に「幼童教導の弁」を京都町奉行所に提出し、同年十二月に大学寮の復興を当局に建議、ついで慶應四年一月に人材登用の必要性を上申、同年八月には小学校の建議、さらに十月、学校建設の具体案を言上しました。慶應三年の建議には「夫(それ)学問の道と云は、難字古事を覚ゆる勤(つとめ)にあらず、唯(ただ)人と生れて人たる者の大道の要を求むるにあり」と述べられています。この建議をはじめて読んだおりに、西谷の学問の背景には心学があるのではないかと直感しました。そしてその家系を調べてみますと、やはり西谷家が心学とのかかわりをもっていることがわかりました。西谷家の初代は平野屋仁兵衛という人物で、郷里は近江国栗太郡大島村でしたが、京都の高倉通貝屋町で米屋を開きました。なくなったのは享保九年(一七二四)の十二月です。四代目の信之のおりに篤志軒を号するようになり、書道を指南し、西谷を称したと伝えられています。

 

 

 

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