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仕事のかたわら、「自分とは何か」「人間とは何か」を問いつづけて、独学で勉強にはげみましたが、四十三歳のころに小栗了雲とめぐりあいます。了雲の学問や思想の内容については著書が残っていないこともあって、その詳細は明らかではありませんが、朱子学をきわめ、釈老(しゃくろう)の学に通じていたと伝えられています。仏教や老子の教え、さらに黄檗(おうばく)宗系の禅も修めていたといわれます。了雲の「心を知らずして聖人の書を見るならば、毫釐(ごうり)の差、千里の謬(あやまり)と成るべし」という教えが、梅岩の「発明して(心を知って)、後は学ぶ所我に在(あり)て、人(物)に應ずること窮(きわまり)なし」の境地を導きだすのに大きく作用していたことはたしかと思われます。

しかし小栗了雲はいずれかの学派に属した有名学者ではありませんでした。したがって梅岩はなんの支えもなしに開講したわけです。『斉家論』のなかで、梅岩先生みずからが、開講の往時をかえりみて述べていますように、その評判はまちまちでした。商家の一番頭にすぎない梅岩にはなんの肩書もありません。無名といってよい梅岩の講説に耳を傾ける人は少なかったようです。開講三日目でようやく一人の聴講というありさまであったといいます。聴衆が一人でもあれば満足であると語ったことが『石田先生事蹟』に記されていますが、開講当初のころの状況を物語るエピソードです。その信念と情熱には、梅岩の面目躍如たるものがあります。

 

 

 

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