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昭和六十三年(一九八八)の三月に、亀岡市は生涯学習都市宣言をしましたが、前年の九月に、谷口義久市長(当時)から生涯学習都市構想をまとめてほしいと依頼されたことも理由のひとつになっています。四十五歳のおりに開講された梅岩先生の講舎そのものが、十八世紀前半における生涯学習の場であり、石田梅岩は江戸時代における生涯学習の先駆者といってもよいすぐれた先学であったからです。

京都大学在学中の私の恩師のひとりが柴田實先生(当時、文学部助教授)でした。柴田先生ご自身が、柴田鳩翁の曾孫にあたります。柴田先生から心学にかんする論著をいただいていたことも、私の石田梅岩に対する関心を深めました。後年、柴田教授のもとの助教授となり、柴田先生退官後の教授になりましたのもご縁というべきでしょう。

石田梅岩についての最初の強烈な印象は、はじめて京都で開講したおりの掲示(開講のことば)でした。「席銭入り申さず候。無縁にても御望(おのぞみ)の方々(かたがた)は、遠慮無く御通り御聞成(おききな)さるべく候、女中方はおくへ御通り成さるべく候」。青年のころから「人の人たる道を勧(すす)めたし」と願った石田勘平(梅岩の呼名(よびな))の説くその学問は、徳川幕府の御用学と化した日本的朱子学とは、かなりおもむきを異にしています。それは開講当初の掛行燈(かけあんどん)にも書かれた、この開講招客のすすめにも反映されています。

 

 

 

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