梅岩のこころざし
貞享二年(一六八五)の九月十五日、丹波国桑田郡東懸(とうげ)村(現在の亀岡市東別院町東掛)に生まれた石田梅岩先生が、その教えをひろめるために、はじめて開講したのは享保十四年(一七二九)でした。場所は京都の車屋町御池上ルの東側です。
梅岩の「心を知る」ことを重視したその学問は、後に心学とよばれるようになりましたが、その心学の学問と思想、そしてその実践には、今もなお学ぶべきものが数多く内包されています。石田梅岩の教えは、手島堵庵(とあん)・中沢道二・柴田鳩翁をはじめとするすぐれた先人によって、各地にひろまっていきます。今から七十年前の昭和五年(一九三〇)に、石田梅岩先生開講二百年を記念する事業が、全国心学聯合会として明倫舎。参前舎をはじめとする心学講舎の人びとによっていとなまれたことを想起します。その流れのなかでこのたびの心学開講二百七十年の記念シンポジウムの実現にいたります。
石田梅岩先生の学問に私がかかわりをもつようになりましたのには、いくつかの理由があります。私の居住地である亀岡市の生んだすぐれた先学が石田梅岩先生であったことだけではありません。