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稲盛氏の家は貧しく、学校に行くことには常に困難がつきまといました。十三歳のときに結核にかかり、安静にしていなければいけなかった経験を稲盛氏は回想しています(『新しい日本 新しい経営』)。稲盛氏はまた大学を卒業するにあたって、多くの企業に面接で断られて自暴自棄になった経験についても語っています。一九五五年当時、日本経済はまだ低迷していたのです。稲盛氏はそのときやくざになろうかとさえ考えたそうです。「不公平と不平等が横行する堅気の世界よりも、義理と人情に満ちた仁侠の世界のほうがずっと人間らしいのではないか」と感じたとのことです。自分ほどのエネルギーと情熱があれば、かなりのやくざになれたのではないかとも思ったそうです。しかし強い倫理観を人格の根幹にもつ稲盛氏が、やくざになることはありえなかったようです(『敬天愛人』)。

一九五九年、稲盛氏はご自分の人柄と倫理観を基盤として、京都セラミック株式会社を創立しました。九州から出てきた自分自身を稲盛氏は「田舎者」(『成功への情熱』)であると思ったそうですが、同じく薩摩出身の偉大な反逆者である西郷隆盛の言葉「天を敬い、人を愛する」(敬天愛人)を自分の会社の社是にしたのはそんな背景だったのでしょう。

 

 

 

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