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今、稲盛さんから心学が衰退していった理由として、近代科学、特にオランダの学問を中心にする洋学が文明開化以前に入ってきていて、明治維新後、政府の政策の中で心学が衰えていったというご指摘がありました。それに加えて、例えば京都の明倫舎と東京の参前舎が内部抗争をするといったように複雑な事情もありました。きれいごとでは済まなかった面もあります。そしてさらに日本の近代化のゆがみと言いますか、宗教や道徳、倫理、特に儒教は封建的な教えだということで、政府自らが心学を抑えていったという状況もありました。幕末の頃の心学が幕藩体制に癒着していったことも軽視できません。

念のために申しあげますと、京都には町人のための町人の学問が古くからあって、梅岩先生が開講される六十七年ほど前に、寛文二年(一六六二)には伊藤仁斎が堀川丸太町上ル東側に古義堂という町人のための学問塾を開くのです。これは今も国の史跡になって残っています。そのあとを受けて梅岩先生が活動された。京都には町人の学問の伝統があって、明治二年に全国に先がけて番組小学校をつくったのはご承知のとおり京都でした。

 

 

 

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