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私の同僚でシカゴ大学の日本史の教授であるナジタ・テツオは、当時の大坂の商人の塾であった懐徳堂と蘭学の塾であった適塾について研究し、その蘭学者の代表的人物の一人である緒方洪庵についての論文を書いています。

ナジタ先生が関心を抱いたのは、西洋の学問をものともしない洪庵の自信でした。洪庵は医学とその関連分野を研究し、翻訳されるべき多くの新しい情報があることに興味をもちました。衛生、運動、食事といった面においては、当時、すでに日本人は何が必要かということをよくわかっていたわけですが、洪庵は西洋の情報源を無視することができませんでした。つまり洪庵は西洋化、あるいは近代化のためにオランダの本を学んだのではなく、活気にあふれ、成長しつつある社会にとって有効で適切な情報がその本の中にあったから学んだのです。

この他にも徳川時代の中期、後期には創造的な活動が多く生まれています。版画家の葛飾北斎は長寿で多くの作品を生み出しました。彼の最も実り多い時期は八十歳代で、裕福な農家のスポンサーの庇護のもとで長野の山村に移り住み、自らを「画狂人」と称し、そこで最高傑作のいくつかを制作しました。

 

 

 

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