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「そんなことをすると、土中にいる虫が死んでしまう。かわいそうではないか。これから湯を捨てる時には、水で十分にうすめてからにしなさい」と言うのです。

また丁稚奉公時代には、寝る際、夏の暑い時には、自分が部屋のいちばん奥に寝て、後輩たちに涼しい所をゆずってやる。その反対に、冬の寒い時には、自分は部屋の入り口に寝て、後輩に寒い思いをさせないようにしたといいます。また当時の世情として、女性が勉強するなど考えられなかった。また士農工商の最下位にあった商人の仕事はいやしいこととされていたようです。が、梅岩先生は、女性にも積極的に学問を奨励され、また商人が利益を得るのも不都合なことではなく、これは武士が得る禄と同じであるとして、商人の立場を擁護されました。この二つのエピソードから言えますことは、人としてすごくお優しい方であると同時に、強い信念を持った改革家でもあったということです。

―本日心学講舎で公演された梅岩先生をテーマにした大型紙芝居はとても好評でしたね。

藤田 私は不勉強で、梅岩先生を紙芝居のテーマに取りあげるまでは、そのお人柄もお名前もまったく知りませんでした。しかし、取りあげることに決まってからは、ただ夢中で取り組みました。そんなわけですから、当初はイメージはありませんでした。ただ“出来るかなあ”という思いだけがありました。しかし、いざ出来あがりますと、自然にイメージがわいてきました。公演をさせていただきますと、ご好評をいただきまして、しみじみと“梅岩先生って、素敵な方だったんだなあ”“奥のふかい、魅力的な人物だったんだなあ”などと、メンバー共ども感動させられた次第です。

江見 私は梅岩先生のお膝下の東別院町の出身です。小学校頃から梅岩先生の話はよく聞かされていました。墓前祭にお参りすると、キャラメルがいただけた。しかし、その後もしばらくはそのイメージでした。梅岩先生は歴史上の人物、つまり過去の人物という認識でした。ところが、平成元年に亀岡市民大学がはじまり、第一回目の講座のテーマが「石田梅岩」でした。講師の山本七平先生の話を聞いてカルチュア・ショックを受けました。

山本七平先生は―我われ日本人が常日頃からごく当たり前のこととして口にしている「勤勉」や「倹約」「正直」という言葉を最初に説いたのが石田梅岩先生であるということ。梅岩先生の教えが、今日の日本の基をなしているということ。約三百年前の梅岩先生の教えは、そのまま今日の社会にも通じることで、この精神を忘れてしまうと、二十一世紀の日本はあり得ない一とご講演になりました。私の今日の梅岩先生に対するイメージは、平成元年の第一回亀岡市民大学の受講が基点になっております。

 

青春時代の“体感”が石門心学をつくった!?

 

―梅岩先生に対するそれぞれのお立場でのイメージを聞かせていただきました。ところが何ぶんにも、三百年も前の人物ですから、たとえば、少年期の有名な"栗の実"の話ですとか、伝承されてよく知られている部分もありますが、反対に知られていない部分も多くあります。亀岡市文化資料館では、梅岩先生の特別展をなさいました。館長の黒川さんは、お立場上いろいろお調べになったことと思います。梅岩先生の知られざる人となりといいますか、人間梅岩について何か気づかれたことはありませんか。

 

 

 

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