私の本『徳川時代の宗教』が出版されてからもう半世紀ほどになりますが、この間に数多くの研究の中で徳川時代の経済、社会、文化生活の活発な動きが説明されています。日本が西洋と似た発展をしていると紹介されていたことから、私は大学生の頃から日本の研究に興味を持ちました。例えば、封建主義ということばは、多くの社会における前近代的社会関係を説明するために非常に漠然と使われていますが、他のほとんどの例とは異なり、日本の封建主義は西洋の封建主義と深い類似性があるようです。私はマックス・ウェーバーの比較社会学と特にウェーバーの宗教社会学の影響を非常に受けています。ウェーバーはプロテンスタントの倫理性が西洋の近代化に非常に重要であると考えましたが、私はこれと比較できる宗教的傾向が前近代的な日本にはあったのではないかということを研究しようと思いました。そのために私は博士論文に徳川時代の宗教を選び、特に心学、またその典型として、開祖である石田梅岩に焦点を当てることにしたのです。
第二次世界大戦後の最初10年間、アメリカの社会科学は非常に楽天的な見方に支配されていました。しかし、社会科学は急速に科学的になり常に社会に有益な結果をもたらすという当時の人々の信念を想像することは今では難しくなっています。『徳川時代の宗教』に影響を与えたのは、経済が充分に発達していればすべてがうまくいくという経済発展を第一とする当時の考え方でした。19世紀初頭に始まってから近代経済の発展はずっと問題の多いものであったので、1950年代のあのような楽観主義の根底は何だったのか聞いてみたくなります。しかし、日本は「近代産業国」に姿を変えつつあり、そのために日本の前近代文化が日本の成功にどれだけ貢献したかを理解することは興味深い、という考え方が当時はあり、私はこうした環境の中で『徳川時代の宗教』を書きました。こうした考え方において、宗教を含めた前近代文化は経済発展という目的を達成するための単なる手段と考えられがちであり、それ自体の意味の考察は真剣に充分なされません。