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梅岩は権威に対して常に敬意を示し、決してそれに異を唱えませんでしたが、どんな階級であろうとも個々の人間が尊厳を持っていること、精神的啓蒙と道徳的な徳を得る可能性があることを主張しました。徳川幕府の公式の考え方では、階級間には身分の大きな違いがあり、武士が一番上でその次が農民であり、職人そして特に商人はいくぶん低く見られていました。これこそが梅岩が否定した点です。「商人の道」を擁護する上で、梅岩は商人は社会全体に対して特別な責任を持っているとし、商人の活動が他のどの階級の活動とも同じく高貴なものと考えました。つまり最終的には一つの道しかないと考えたのです。

 

「商人(あきびと)の道と云うとも何ぞ士農工の道に替(かわ)ること有らんや。孟子も、道は一つなりとの玉ふ。士農工商ともに、天の一物なり。天に二つの道有らんや」

 

梅岩のような生い立ちの人物が普遍的倫理の師として身をたてることは、人々には思いもつかないことでした。多くの人々には、商家の古番頭が、突然、自分を哲学者と呼び、すべての人に向かって講釈を始めることは実にばかばかしいことでした。梅岩は権威のない師の弟子であり、無名の学派に属していました。僧侶でもなく富も地位も持っていませんでした。梅岩は自分は無学で文語体(漢文)も不得意であると謙虚に言い、多くの人が難無くそれに同意しました。梅岩は著書『斉家論』の冒頭で、多くの人が彼を批判し、ある者は彼の面前では褒め、陰では嘲笑し、また多くの者が、そのような無学なものは他人を教えるには適さないと言った、と述べています。さらに、自分自身で講釈を作ったのではなく、以前聞いた講釈を、理解もせずに繰り返しているにすぎない、という人がいたと述べています。しかし、最初は不運であったにもかかわらず、梅岩は何千何万という人々が学ぶ、後に石門心学として知られる運動を創設することができました。梅岩の講釈の内容は、特に朱子派の儒教、禅の伝統をくむ大乗仏教、天照大神に帰依する神道など、東アジアの精神性の偉大な伝統から引き出された道徳的なものでした。

 

 

 

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