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先生は従容(ショウヨウ)として居たまヘり。扨後(ノチ)が島といふ巌重(イオリ)りたる小島に船をよせ、のぼりて眺望したまふ。漸く風もをさまり波静かになりて、海の

面渺々(ビョウビョウ)たり。其時先生大海のかぎりなきを指ざし、人身のすこしきなることを示したまふ。門人ここに益を得たり。

元文戊午(ツチノエウマ)の夏大旱(オオヒデリ)にて、上下(ショウカ)ともに雨乞ひの祈ありしに、先生も日々沐浴して、ひそかに雨を乞ひたまふ。七月二十一日の夜より大いに雨ふりて、貴賎のよろこび限なし。其日近辺の門人の宅へ、先生を初め門人集り、雨の悦びをなしゐけるに、少し風吹出でければ、先生何とやらむ不予の色ありて、我は暫しが間宅へ帰り、又来るべしとて、其座を立出でたまひ、しばらくありて来りたまふ。門人等其帰りたまひしゆゑを問ふ。先生曰、風吹出けるまま、天を仰ぎ見るに、雲西北にゆく気色あり。是風を起すのきざしなり。かくのごとき大雨の時、もしはげしき風あれば、作物を損ふこと甚しきものなれば、帰りて沐浴(ユアミ)しひそかにかく祈りしと、そのことの葉に

雨を乞ひ風しづかにと祈るなり

まもらせたまへ二柱の神

何方(イズカタ)にても火事あれば、先生心を労したまへり。是は人の難儀、且財宝の滅(メツ)することをいたみたまひてなり。ある年の冬の夜、下岡崎村に大火事ありしに、寒中といひ夜中といひ、食乏(トモ)しくては堪へがたかるべしとて、夜半に門人を催し、飯をたき、にぎり飯とし、門人を伴ひ、彼(カノ)岡崎に持行きて、難儀なる者にことごとくあたへたまへり。

先生の宅へ門人四五人集りゐける折臥し、同門人一つの獺(カワウソ)を持来れり。割(サ)きて人毎に頒(ワカ)たんとおもひけれども、いづれも為慣(シナラ)はざることなれば、いかがすべきと申しあひける。先生もしならひたまはざれども、小刀をよく研(ト)ぎ、かの獺を割きたまふに、やすくさきてわかちたまふ。

 

 

 

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