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先生へ或人問ふて曰、今の学者は性理に心をよせずと譏(ソシ)らるるは、其許(ソコモト)の身正しき故か。少(スコシ)も正しからざる所あらば、不可ならん。先生答へて曰、吾他を譏るにはあらず、学問の本意を知らざることを歎くなり。是を譬へば、今爰に君を殺害せられし臣多くあらん。其中に今の学者は勇力ありて、讐(アダ)を報ゆる志なきものの如し。われは讐を報ゆる志あれども、腰ぬけし者の如し。其訳は吾晩学といひ、不才といひ、柔弱不徳にて行(オコナイ)も潔(イサギヨ)からず、うすうすと性善なるを知るばかりなり。何とぞ是を人に知らしめんと志せども、下賎(ゲセン)の者のいふことなれば、尤也(モットモ)と聞く人稀なり。是腰ぬけが君の讐を報いんと志せども、あたはざるがごとし。又今の学者は若年(ジャクネン)より学び、博学多識、あるひは仕官し、世にしらるる故をもつて貴き人多し。しかるに文学に耽り、性理は学の本にして堯舜天下を治めたまふも、性に率(シタガ)ふのみといふ事をしらず。しらざるは勇力ありて、讐を報ゆる志なきがごとし。是等の人、性をしらば、道を興すべきものをと思ひ歎くなり。

先生常に門人へ自己の性を知るべき由を説きたまへども、是を信ずる者わづかに二三人なりしが、中にも斎藤全門(センモン)ふかく信じ、日夜如何いかんと工夫を凝らしけるに、ある夜ふと太鼓の音を聞きて性をしれり。爰(ココ)においてますます信を起し、日々に養ひしかば、漸くにして徹通(テットウ)せり。故に全門信を尽くし、朋友を助くれども、猶志立たざりける。木村重光は、初めより篤く信じけるゆゑ、年月をかさね、工夫熟せしにや、或冬障子を張りゐて、頓(トン)に自己の性を知り、大いによろこびて、先生の許に到り、自ら得る所を呈す。

はつといふてうんといふたら是は扨(サテ)

はれやれこれはこれはさてさて

先生此時重光の性を知ることを許したまへり。是より門弟子端的に性をしることを実に信じ、工夫のに心を尽くし、信心髄(ズイ)に徹しぬれば、おのおの寝食をわすれ、或は静座し、あるひは切に問ひ、日あらずして性を知る者おほし。

 

 

 

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