先生何(イズ)かたにもあれ、茶店に休みたまふときは、見苦敷貧(ミグルシク)しと見ゆる所に休みたまひて、茶のあたひは、おほくあたへたまへり。
先生曰、吾二十歳の頃、脾胃(ヒイ)に病ありて、養生のため、朝夕雑炊(ゾウスイ)を食す。それゆゑか一月ばかりに本服せり。是によりて考へ見れば、一日に二食(ニジキ)をもって身の養ひ足れりとおもひ、其後四十歳の頃までは二食にて暮せり。およそ一日に四合食ふを三合にて足れば、残る一合世界の助となる。それのみならず度々食すれば、万事についえ多きゆゑ、二食にて暮し残る一食分の米一合は、乞食に施し来たりしが、夜講釈を始めしかば、或人声をはるもの、食ともしければ、命の障(サワリ)となるといへり。短命にては吾伝ふる道を、人に授くるの志遂げずとおもひ、それより三食になせり。
隣国に洪水ありし秋、月見の参会(サンカイ)とて、先生門人に誘はれ行きたまひしに、其後ある人先生の許へきたりて曰、隣国洪水ありて憂ふる人多し。しかるに月見の参会したまひしは、人の憂をうれひたまはざるにあらずやと申しければ、先生答へて曰、洪水を歎かざるにはらず。しかれども是は吾分に非ず。且毎年諸国一統に無事なる事は稀なるべし。是を歎けばとていかがすべき。門人常に集るには、不参の人もあり。集らざれば学問を退き易し。これを嘆くは吾分なり。吾分を行ふ故、親(シタシ)みある人を、邂逅(タマサカ)になりとも集めんための参会なり。上(ウエ)つかたと下々(シモジモ)の分を知りて混雑すべからず。
先生曰、吾無益の殺生(セッショウ)をかなしみ、二十年このかた、沐浴(ユアミ)洗足あるひは物のゆで湯なども、あつきは水を合せて流し、地中の虫の死せざるやうになせり。此事十に七つは行ひ得たり。しかれども是鎖細の事なり。何とぞ貪る心を止めんと志せし故に、吾自炊(テセンジ)し、欲心の出来ぬやうにと常にこころを尽くせり。かくのごとくすれば、わが如き柔弱者も無欲になれば、少しは人の心を助くる便ともならんかと思へり。
先生曰、吾身には忠孝なけれども、常に人の不忠不孝をなほしたく、一人なりとも、教導(オシエミチビ )きたしと思ふこと病となれり。