先生曰、仁に至は、心徳の事にて重きことなれば、急々には至られずといへども、事の上にて心づかひもせず、身に苦労もせず、財も費さずして、一品(ヒトシナ)や二品は仁の行はるることあるべし。万分の一なりとも、行はるる事あるべし。万分の一なりとも、行はるることは行へば、それほどの仁となりて、善となるべしとおもへり。このゆゑに其品(シナ)を書付候。
道を往来する時心がけなば、道を作るがごとき、世のたすけとなることあるべし。一事を挙げていはば、小水(コミズ)の道中へ流れ出づるを、側へせきやりおくも仁なり。
他出するにゆく所を親兄弟にても、家内の者にても、慥(タシカ)にいひ置けば、人の心を安んじて仁なり。往還(ユキカエリ)の道すぢをいひ置けば、迎ひが違はずして仁なり。
書はお家流を書くべし。これ見え安ければ、人の心をやすんじて仁なり。
からかさ菅笠の類に、目印(メジルシ)を書付置くは、印の無きよりはよけれども、直に名をかきつくるにくらぶれば悪し。名を書付おけば、百人が百人ながら知る。印なれば百人が九十人は知らず。あまたの人の心を労して不仁なり。吾はせず。
すべて物を用ゆるに、愛宕(アタゴ)山、日枝(ヒエ)の山にて水をつかふと、大井川、賀茂川にて水を使ふとのごとく、其所々(トコロドコロ)にて、節(ホドヨ)くもちひ、人の心をいためぬやうにするは仁なり。
少し人の気に入らぬ事ありとも、無欲にするほど仁の本となることはあるまじ。少しづづは心懸候ヘども、是には腰が立申さず候。是に腰を立申度願(タテモウシタキ)ひに候へども、生涯には願ひ叶ふまじきかと、歎(ナゲカ)はしく候。
先生曰、田畠のやしなひに多くの人苦労あることを見聞(ミキク)ゆゑに、吾三十年このかた一日半日の旅行にも、二便ともに心を付、厠(カワヤ)に入りて便じ、又厠なき所にては、田地に便するやうに心懸けり。是いやしく細(コマカ)なることながら吾相応の倹約と思へり。