風呂へ入りたまふには、先づ身をよく洗ひて後入りたまへり。
先生老友死去にて、其葬礼に行きたまふに、門人白地に紋付たる帷子(カタビラ)を出し進(マイラ)せしに、紛らはしとて、染帷子を着したまへり。
先生夜講釈したまふ日、人ありて長物語し、日暮に及ぶといへども、更に何の気色も見えたまはざりしなり。
先生自炊(テセンジ)したまふを、門人憂へて下男(シモオトコ)一人使ひ賜はるべしと申しければ、それはかへって我労になれば、無用と仰せられしを、門人強ひて申しければ、拒(コバマ)ずしてつかひ給ふに、其男常に出あるき、留守の役にさへ立たぬものなるに、其事を一言も出したまはずして、つかひゐたまへり。門人是を知りて、この此男退け出し、又門人のはからひにて、男を置きかへけるに、此もの柔和にはありけれども、鈍(ニブ)き者にて、吾帯さへ得(エ)せざれば、先生結びてやりたまふ。また寒中に両足とも垢切(アカギレ)にて痛みければ、先生いたましくおもひたまひ、そくひてやるべしと仰せられければ、そのまま両足をのべてそくはせけり。此男も先生の労になれば、門人又是も退け出し、その後は先生の意に任せしかば、生涯自炊にて暮らしたまへり。
先生書を見ゐたまふに、近所の小童(コドモ)来たりて、たはぶれに外より案内をこへば、答へして出でたまふ。小童これを笑ひ、はしり逃げて、また来り前のごとくすれば、先生もまた始めのごとく、答へして出でたまへり。
先生道を往来したまふに、夏は陰(カゲ)を人に譲り、みづからは日あたりをあるき、冬は日あたりを人に譲り、自らは陰を歩行(アルキ)たまへり。