そして子路は正義を見誤り、悪しき道に与して戦いに命を落としてしまった。この者達が顔回に及ばなかった理由です。まして私ごとき者がどうして顔回の行いにかなうはずがありましょうか。それ故、私は妻帯しないのです。私には兄弟がおり、甥姪がおり、先祖の祭司はこれらの者共が行ってくれます。私自身、特に自分を祭ってくれる子孫を持ちたいとも思っておりません。私のささやかな望みは我が身を捨てても道の行われることを願うことです。」と答えました。
ある夏、梅岩が出講して河内国石川郡白木村の黒杉政胤宅に行かれた折に垣根近くに小さな流れが掘ってあることに気がつかれた。「いつもここに水が流れているのですか。」と尋ねられたところ政胤は「そうです。いつもここに水がながれております。」と答えた。
梅岩は「私が尋ねたのは丁度今ごろは農家が水を必要としているからです。」と言われた。梅岩は自分の暑さしのぎにと堀を掘ったのではないかと疑い、若しそうならば農家に申し訳けがないと思ったからこう言われたのであった。
宿から講釈会場までの間、梅岩は田を見ていたが麻の上下の礼服を着用されていたにもかかわらず泥の中に手を入れて何本か草を引き抜いた。梅岩は「これは肥(コヤシ)を奪う悪い草です。」と言って人々にそれを見せた。その近郷の人々は梅岩の講釈を聞いてからと言うものは家業に精を出すようになったということである。
講釈が終わって政胤が白銀の包みを贈り物として差し出すと梅岩は受け取ろうとはしなかった。「あなたから滞在費と旅費を受け取った上に贈り物を受け取る理由はありません。」と言い、ついにこれを受取らなかった。
京の門人達が出講中の梅岩を迎えるため京より参上し講釈の終わる日に河内に到着した。政胤は梅岩に「先生のところに参上された門人の方々にとって当地は初めてでしょうから一日か二日、ここに滞在して頂いた方が良いでしょう。私が近郷の名所旧跡を案内いたします。」と申し出た。
そこで梅岩が門人達に政胤の考えを伝えると門人達は「それは大変有難いことですが、しかし私達は物見遊山を楽しみに来たのではございません。ただ先生に早く京に戻って頂きたいと思ってお迎えに参上したのです。」と言って翌朝早く京に向って帰途についた。