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京に戻ると河内での出来事を詳しく門人達に語って梅岩は「この度の河内での件、政胤の贈り物を受取らなかった理由は謝礼が過ぎたからだ。あの場合、どれほどが適当だったと思うか。」と門人達に尋ねられた。そこで各門人達が答えると梅岩は「銀一両と木綿の手拭一本で良かった。これがあの場では程良いところだった。」と言われた。

他日、門人達を側にして梅岩は「どこであれ、仕事が終わった後に物見遊山に長く滞まることは好まない。」と言われて、門人達が河内に長居しなかったことを喜ばれた。

 

門人の求めに応じて梅岩は二冊の本を著した。最初の書物は人の問に答えた言行録を基にしたものである。梅岩はこれらの言葉をまとめて一冊の本としてこれを『都鄙問答』と名づけた。元文四年(一七三九)の秋七月出版である。もう一つの本は次のような経過で編纂された。寛保三年(一七四三)の秋、門人達が日々の倹約の必要なることを認めてこれを行わんと梅岩から聞いたところのあらましを書いた物にして、梅岩に閲覧して貰ってこれが許可になった。その後、門人達が倹約を大いに実践したところ、ある人が門人達がにわかに倹約に走ることは良からぬことであると主張して先生と論議した。この議論をまとめて、先に梅岩が閲覧したものと一緒にして一冊の本としたものを『斉家論』と言う。これが出版されたのは延享元年(一七四四)夏五月のことである。

 

梅岩は延享元年秋の九月二十三日の晩に病となり、翌二十四日の昼、午の刻に自宅にて息を引き取られた。享年六十歳。京の南東、鳥辺山に埋葬された。死後、家にのこされていたものは本が三箱、日々の質問に対する受け応えの草稿、見台、机、硯、衣類そして日常使う道具のみであった。

 

以上

 

 

 

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