その神道家が強引に梅岩を妨害するので梅岩は致し方なく「よいでしょう。貴方の望みどおりお話を致しましょう。」と応えた。その神道家が五人か六人の門人を連れて梅岩の自宅に現れると、梅岩は「貴方方の神道への思いは大変喜しく思っています。貴方は私を八百万の神達の敵とおっしゃっていると聴いていますが、それは理解致しかねます。私はこれっぽっちもそのような考えは持っておりませんし、儒と仏の助けを用い、私は切に我が国の神道の教えを二心なく人々に教えております。私は神々に忠実なことを誓えますし、こう申し上げるからには嘘は申しません。私は二心ないばかりか、今ここにいる門人達にも誓詞を立てさせてもかまいませんし、今ここにいない他の門人達もとお望みならば、それにも従いましょう。ですから貴方方も悪意なく誓詞を立てて私達と同様に全ての門弟の方々も誓詞を立てて頂きたい。誓詞の印は何でも貴方方にお任せ致します。こうすることによって私達は私共と貴方方との間にある神々に忠実であるか否かという不信を拭い去ることができますし、気軽にお話も出来る訳です。」と言いました。その神道家は「誓詞については誠にもっともだと思います。しかしそれは畏れ多いことですし、貴方方に二心ないことを知った上には誓詞には及びません。」と言って梅岩の申し出を辞退しました。
行藤某(ナニガシ)と森某が『都鄙問答』の中の不明な点について梅岩に尋ねたことがある。行藤某は論議に丸二日も費やした。論じられた事柄が多岐に渡る故にここにその中の一、二点を下記に示す。
行藤氏が問うて言うには「心と性は異なるものですか。」と。梅岩これに答えて「心は性と情を兼ね、そこには、動と静があり、本質(体)と働き(用)即ち体、用があります。性は本質(体)である故に静である。動いている心は用である。心の本質(体)は性であるとも言えましょう。心の本質はこのようなもので、変化という観点からば無心が心そのものです。性もまた無心であります。心は具体的内容即ち気に属し、性は原理即ち理に属するものです。原理は万物に存し、目に見える物ではありません。しかし心は目に見えて具体的であり、物事に懸わってこれを写し出します。