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お祈りになった言葉は次のようなものであった、

雨を乞い、風静かにと祈るなり

守らせたまへ、ふた柱の神

どこかで火事があると梅岩は大いに心を痛められた。これは人の災難と物の損失を嘆かれたからである。ある年の冬、夜間に下岡崎村に大火が起こった。真冬の夜中のことなので食料でも不足したら耐え忍ぶのはきつかろうと思い、門人達を集め、飯を炊き、握り飯をこしらえ、門人等とともに岡崎へこれを運び、困窮の人々に分け与えた。

四人か五人の門人達が梅岩の自宅に集まった折に一人の門人がかわうそを持って来た。これを割いて分けようということになった。誰もその割き方が判らないので迷っていると梅岩もよく判ってはいませんでしたが、小刀をよく磨き、かわうそを割くことにした。安々と割いてこれを皆で配分した。

元文五年(一七四〇)の冬から翌年の春まで、上京、下京の至る所に困窮した民衆があふれていた。その冬は悲惨な話ばかり聞こえて来た。しかし施しを与える人はいなかった。梅岩はこれを大いに嘆き、門人の一団をあちらこちらに派遣し、困窮した民衆の様子をうかがわせた。これまで聞いたことのないほどの悲惨な話が数え切れない程聞こえて来た。

梅岩は門人を三人から四人一組にして師走の二十八日からあちこちの場所へ赴かせ、小銭を施し与えた。開けて正月二日より施しを行う人々が多くあるようになった。

ある時、梅岩が大阪へ出講した際に、ある神道家が、「日本人に唐魂(カラゴコロ)を吹き込むこの講釈は誤っている。私達は八百万(ヤオヨロズ)の神達の敵を追い出さなくてはならない。ジックリ腰を落ちつけて事を正そう。」と言い出した。その神道家は繰り返し議論を持ちかけ、決着をつけたいと言った。梅岩らは承知した様子をつくろい、これを相手にせず、事を構えないようにした。しかし、この者は梅岩を煩わせ続け、「もし貴方が私と話をしないなら、今すぐにここで講釈をされることを止めて頂きたい。」と言った。

 

 

 

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