梅岩が三十二歳の時に父がなくなり、五十二歳の時、母がなくなられた。喪に服する間、梅岩が悲しむことこの上なかった。
梅岩の元へ通う禅尼僧がいた。この尼僧、一年の間、大和に巡礼に参った折に、男の身なりに身を包み、女人禁制の場に足を踏み入れた。この尼僧が旅日記を携えて梅岩の元に現れ、これを見せるや、梅岩は尼僧を見送りがてら「もうここには来ないでよろしい。」言った。
元文三年(一七三八)の夏、梅岩は五〜六人の門人とともに但馬の温泉に出かけた。梅岩は昼夜そこで『都鄙問答』の校正を行った。ある日、門人と小舟に乗り、瀬戸などを巡り、皆で沖へ出て行くと北の方には果てしない外海が広がっていた。突然、強風が吹き始め、門人達、大いにあわてたが、梅岩は自若とした様子であった。一行は次いで後が島(ノチガシマ)という岩の積み重なった小島に舟を着けて岩に登り、周囲を見回した。次第に風も凪ぎ、波は穏やかになった。そして海原は果てもなく広がっていた。梅岩は大海の限りなきを差し示し、人身の微小なることを諭された。門人達もこれによって得るところが多かった。
元文三年はまた大早魃の年でもあり、世を上げて雨乞いがなされた。梅岩も日々沐浴して密かに雨乞いをされていた。七月二十一日、激しい雨となり、貴賎と無く、上を下への大喜びとなった。その日、梅岩と門人達が近くの門人の家に集まり、それぞれ待望の雨を喜んでいると少し風が吹いてきた。すると梅岩は何事かあらんとばかりに当惑顔をして「しばらく宅へ戻る。すぐに帰るから。」と言われて席をはずされて外へ出て行った。
程なく、梅岩が戻ったので門人達はどんな理由で家へ帰られたのかを尋ねたところ、梅岩は「風が吹いてきたので空を見上げると、西北の方角に雲が流れて行く。これは突風が起こる前ぶれです。こんな大雨の時に突風が来たら作物に大被害が出るだろう。そんな訳で家に飛んで帰り、沐浴して秘かにお祈りをして来ました。」と言われた。