木村重光は入門時から強い信念を持っていて、しばらく工夫に励んだことが実を結んだのでしょう。ある年の冬、障子紙を貼っているとき、突然性を知る体験を得ることが出来ました。大いに喜んで梅岩の自宅へ向い、自ら得る所を呈し、「すごい、すばらしい、これだ。あーこれだ」と叫んだ。この感動を歌にしたものが次の一首です。
はっといふてうんといふたら是は扨(サテ)
はれやれこれはこれはさてさて
梅岩はここに及んで重光の性を知った体験を認証した。
これより門人達は本当に性は直接に知ることが出来るものと本気で信じるようになった。門人達は工夫に励み、信心が髄に徹して各々寝食を忘れて、静座若しくは探求工夫に没頭した。程なく性を知る者が多数現れた。
梅岩が性を知った門人に教示したことは、「学問の道とは自身の行為の正しいか、正しくないかを反省して、正しい道に従うのみである。その積み重ねがやがて聖人の道への到達をも約束してくれる。」
梅岩が言うには、「自分は元々理屈っぽく小さな頃から友人にも嫌われていた。自分には意地悪な所があったけれども十四か十五歳の頃、突然それに気がつき、これを悲しく思った。それからは自分の性格改善につとめた結果、三十歳位までにこれが大方直った。言葉の端々にはまだそれとなく現れることがあったが四十歳頃には少しばかりの酸味が梅の黒焼きのように多少残っている感じであった。しかし五十歳になって自分の悪い癖は全くなくなったと思う。」と。
梅岩は五十歳頃までは人前で心に違(タガ)う事があると気難しい顔をされたが、五十を超えると心に違うことがあるのかないのか顔に表れなくなった。六十歳頃には今は全く楽になったとご自身でも言われていた。
梅岩の母は故郷から時折上洛していた。春のことだったので梅岩は母を祇園、清水のような所か、芝居に連れて行って楽しませた。母に向って「私は京に住んでいるとはいえ、芝居はめったに見ません。門人の手本となるよう心掛けてこのようにしているのです。母が上洛されたので楽しく芝居見物もできました。」と語られた。これを聞いて母はこの上なく幸せそうであった。