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このことから自分の体を養うに一日二食で事足りると思った。それ以来四十歳頃まで一日二食で通し、一日四合食べるところを三合で間に合わせればこれも世の助けとなる。のみならず度々食べれば万事について費用もかさむので二食で暮らし、残る一食分の米一合は乞食に施して来ましたが、夜講を始めた頃、或人が声を張る者が食が乏しいと命の障りとなると言ったので、命短ければ、道を伝えんとする志が遂げられないのではないかと思い、その後一日三食頂いております。」

近郷で洪水あったある秋の晩に月見の宴が催された。梅岩は門人に招かれてこれに参加した。ある人が遅れて来て「近郷で洪水が起こっていて、人々が苦しんでいる。月見の宴に出席すれば他人の苦しみに気遣っていないことになりませんか。」と申し上げた。梅岩はこれに応えて「私は洪水に巻き込まれた人々を気の毒だと思っていない訳ではない。それに洪水は私の力でどうすることも出来ないし、近郷で良からぬことが何も起こらないことはむしろ希なことです。洪水をいくら嘆いてみても何か足しになることはあるのだろうか。それより高齢で門人の集いに来ない者もいる。来なければ、いとも簡単に学問を放棄する。これを心配するのが私の勤めです。私の勤めは回数は少なりとも親しい人々を集めることです。上も下も自らの勤めを知り、混同してはなりません。」と言った。

梅岩が言うには「理由無く命を取ることは忍び難いことです。子供の時から熱い風呂の湯、足を温めた湯、物を煮た湯などを捨てる時は、あらかじめ水でぬるめてから捨てました。こうして土の中の虫を殺傷せぬように気をつけて来ました。十回のうち七回は、このように出来ました。こんなことは些細なことです。私は欲を消さんが為に自炊し、常に己の欲を除く工夫をして来ました。私のような軟弱な者も、無欲に徹すれば、人の心をたすけることにいささかなりとも役立つことが出来るのではないだろうか。」

梅岩が言うには「忠と孝は吾身には十分とは言えないが、私はいつも人の忠ならざること、孝ならざることを直したいと思って来た。一人でも教え導きたいとの思いは私の病となってしまった。」

 

 

 

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