「道を往来する時心掛ければ、道を作るような世の助けともなることがある。一例を挙げると、道の中に水が流れ出していれば、これを端の所で堰き止めておくことも、これも仁です。」
「外出する時に何処に行くか、はっきり誰かに、伝えておけば親、兄弟、姉妹、妻が安心します。これも思いやり、即ち仁です。行き帰りの道筋を伝えておけば、貴方を捜す者は、貴方を見失うこともないから、これも仁です。」
「字をお書きになるならお家流で宜しい。読み易く、人の心を安んじる、これも仁です。」
「傘、菅笠の類に目印を書付けるのは印が無いより良いけれども、名前を書いておくことに比べれば不十分です。名前を書いておけば、百人中百人がこれを理解出来ます。印ならば百人中九十人は理解出来ず、多くの人の心を労するから不仁となります。私はこんなことはしない。」
「物を使う時は情況に応じて使わねばなりません。例えば愛宕山や比叡山で水を使う時と、大井川や賀茂川で水を使う時とは当然違った使い方をしなければなりません。場所をわきまえ節度をもって人の心を傷つけないことが仁です。」
「多少なりとも人を不愉快にはしても、無欲に優る仁はないでしょう。少しずつ試みてもこれを実践することは中々難しいものです。成就しようと思っても一生かけても成就出来ないのではないかと嘆かわしくなります。」
梅岩が言うには「多くの人々が田畑を肥やすことに苦労するのを見るにつけ、私は三十年以上にわたり、一日、半日、外にあって用を足す時は、厠を使うか、厠が無い時は田畑で用を足すように心懸けて来ました。これはつまらなく細かいことですが、自分相応の倹約と思っております。」
梅岩は茶店で休憩する時は、どこでも見苦しい貧しそうな所で休み、過分の銭を置いて行った。
先生が言うには「二十歳の折り、胃病を患い、体調を整える為に、朝夕、雑炊を食したお蔭で一月ばかりで回復した。