日本財団 図書館


風呂に入る時は先ず体をよく洗ってから風呂に入った。

旧友の葬儀に行く時に門人が白地に家紋の入った帷子を勧めたが、紛らわしいと、日常お使いになっていた染帷子で済ませていた。

夕刻に講釈のある日に人が訪ねて来て長話になって刻限が過ぎても、殊更何の気色も示されなかった。

 

梅岩が一人で自炊していることを門人が心配して下男を置くことを勧めたが、かえって面倒だから、その必要はない、というのが梅岩の言葉であった。しかし、門人が強く勧めると、それならばとある者を下男として使ったことがあった。ところが、この男、日頃からうろつき回り、留守さえすることが出来なかったが、梅岩は一言の文句も言わずに、雇い続けていた。後に門人がこれを知り、この男を解雇した。そこで再び門人の案で一人の男を雇った。この男はやさしいが鈍い男で、帯の結び方も知らない故に梅岩がこれを結んでやっていた。その上寒さの為に両足が、ひび、霜焼けで痛んだ時に梅岩はこれを気の毒に思い、手当てをしてやろうとすると、その男はただ足をだらしなく広げて治療をして貰っていた。これでは、梅岩の足手まといになるだけなので門人はこれも解雇し、この後、門人も梅岩の意志に任せたので以後はまた一人で自炊して過ごしていた。

梅岩が書物を読んでいる時に近所の子供が来て、ふざけて案内を請えばその都度梅岩はわざわざ応答して玄関へ出て行った。子供がこれを笑い、走り去って再び同じように案内を請えば、梅岩は又、始めのように応答して玄関に出て行くのだった。

道を行き来する際は夏は日陰を他人に譲り、自分は日向(ヒナタ)を歩き、冬は日向を人に譲り、自分は日陰を歩くのが通常の遣り方だった。

梅岩が言われるには、「仁に至るは心徳の事で、大変に難しいことなので急にはできることではないけれど、しかし、直ぐには出来なくとも特別に心遣いもせずに、苦労もせずに、金を使うことがなくても、仁を為すことは一つや二つは出来ることがある。万分の一でも行えればそれはそれで仁であり、善であるから、そのような事柄を書き留めておいた。」

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION