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食事は上白米で粥を作り、食した。日に一度は味噌汁を調え、粗末な一菜を調えて食し、茶は日ごろから上質な物を飲し、時々、煎じ殻(カラ)をひたし物にして食していた。米を研ぐ時は一番研ぎ汁と二番研ぎ汁を別の器に取っておき、鼠(ネズミ)の餌とした。釜に残った米に湯を注いで飲み、釜に着いたものは注意深く、こそげ落として、少しでも雀や鼠の餌にしていた。汁を飲み終わると、鍋、椀の類(タグイ)に茶を入れて、洗って飲んでおり、菜っ葉の類は腐ったものは捨て、枯葉は捨てることなく使っていた。魚は時偶買っていたが、こあいざこ、はかり鯨、海老(エビ)雑魚(ザコ)の類であった。煙草を飲む時は煙(キセル)管の先からきざみがはみ出すことはなかった。薪は細かに割り、火を着け易くした。庭先の木切れを洗い、半寸といえども台所のかまどへくべた。付木(ツケギ)も半分にして用い、一度使った後も取っておいて、燈明などを移すのに使用した。火鉢の炭殻は小さくなると消し炭にして使った。お灸の火や小便所の燈は他の火ときっちり使い分けていた。残った付木は洗い、かまどにくべた。水清ければ心も浄し、と言うからである。釣瓶(ツルベ)に使った古縄を乾かして置き焚き物にした。出来た灰は火入れや火鉢に使っていた。それが火持ちをよくするとの理由からであった。畳の古縁(フルベリ)は埃はらいに用いていた。いつも梅岩は髪は自分で結い、元結は洗ってから何度も使っていた。乞食に施し物をする時は素早く出し、用があってやれない時は、意味無く立ち止まることのない様に大きな声でその旨を伝えるのが常であった。飾りのついた墨は使わず、磨(ス)り屑、硯に張り付いたカスをはがして保存しておいて後々墨を塗るために取っておいた。すべて紙の封じ目は開ける時に貼ってある個所を濡らして開いた。このようにして紙を破らないようにしていた。障子紙にした古紙は強度がないのでどうにも使えないのだが、これも破らず取っておいて、ひそかに厠で使っていた。紙がちぎれても、籠に入れ捨てることはなかった。故紙を貧しそうな者に売り、言い値で金を与えていた。何にしても上等なものを用いず、大概は粗末な物を使っていた。

梅岩言うには、天子様を畏れる心が人々にあるから、天照皇太神を拝むにあたって人々は天子様も一緒に拝むことにしているのだと言った。

 

 

 

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