日本財団 図書館


梅岩は母が病に掛ったため、生まれ故郷に帰った。その時、梅岩は四十歳になっていた。正月初旬、母親の世話をしていて、用事があって扉を開けた瞬間、ここ数年来の疑いが一瞬に霧散した。堯舜の道は孝弟のみ、鵜(ウ)は水をくぐり、鳥は空を舞う。天地に道は明らかなり。性は天地万物の親なるを知り、梅岩は快活この上ない心持であった。その後、都へ上り、了雲に会い、あいさつを終えると、師は「工夫は熟したか」とお聞きになった。梅岩がこれに対して煙(キセル)管で空を打って、「いかにも、いかにも」と言って答えると、師は「そなたの見たものはありきたりの知れたことだ。群盲が象を探る譬えのように象の尾や足がわかっても象の全体を知ることは到底出来ない。性を天地の親と見たそなたの目がそのまま残っている。性は目なしである。その目を捨てて、今一度出直して来なさい。」とおっしゃった。梅岩は以後、寝食を忘れ、再び瞑想工夫に明け暮れ、かくして一年を超える月日が流れた。ある夜ふけ、瞑想に疲れ果てて、横になっていると夜が明けたことにも気が付かず、やがて裏の林で雀の鳴く声がした。その時、腹中は大海の静々たる如く、また澄み切った晴天の如きを感じたのだった。その雀の声に静々たる大海に鵜が水を分け入るような感覚を覚え、それより自性見識の見を離れて物事を見ることが出来るようになった。

梅岩、かつて半年あまり、師の了雲を訪れないことがあった。年配の門人が了雲に向かって「梅岩は優れた人物ですが、師(了雲)があまりに厳しいので離れてしまったようです。残念なことです。」と言うと、了雲は「梅岩のことは心配するな。」と気にするそぶりもみせなかったという。

梅岩が了雲の傍に仕えていた折、了雲が梅岩に向かって「近いうちに住居を定めるのがよかろう。(世帯を持ったらどうか。)ただ学問にのみ時を費やすのは良くない。」と言うと、梅岩は、「私は長者になるでしょう。」と答えたので了雲は喜んだという。

梅岩が、了雲の病床の世話をしている時、了雲が「煙草を吸いたいのだが。」と言うので、すぐに梅岩は煙草に火をつけ、煙管の吸い口を紙でぬぐって渡したところ、これが師の心に違い、「お前の行いは私の世話を厭う気持ちがあるからだ。」と言って、即刻暇をとらせた。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION