日本財団 図書館


畑恵 常々私は、この日本という国そして日本人のDNAの中には、「海彦と山彦が混在している」と認識しております。もともとの国の成り立ちが、北方やはるか西方の大陸から、あるいは(朝鮮)半島から、あるいは東南アジアの島々やさらには遠くポリネシア、メラネシアから海を渡って、様々な血が混淆して、日本人なる人種ができ上がったわけでしょうから当然のことかもしれませんが、実にアンビバレントな側面を内在しながら、決して引き裂かれるわけでもなく、そうかといって対立する要素がアウフヘーベンされるわけでもなく、なんとなくいい塩梅(あんばい)におさまるというか、辻褄を合わせてしまう。その傾向が最も顕著にあらわれているのが「日本国憲法」です。国の根幹をなすべき法典、いわばアイデンティティであるにもかかわらず、第九条をはじめとして現実との乖離は、はなはだしく矛盾に満ちている。

でも、戦後五十余年さして不都合を感じてこなかったのはなぜかといえば、すべて「拡大解釈」という辻褄合わせで凌いできてしまったからです。恐ろしいまでの柔軟性というか、節操の無さです。食生活を見ましても和洋中エスニック何でもありますし、宗教的にも仏壇に手を合わせたかと思えば、教会で結婚式を挙げて、神社へお宮参りに行く。南北に長く、かつ海を渡ってあらゆる人やモノや情報が流れついた島国ならではの、この「受容力」、なんでも受け入れて自分のものにしてしまう力こそが、日本の本質であると思いますし、ましてや世界へ開かれた海洋国家をめざすならば、なおさらこの変幻自在な力を活かさねばならないと思うのです。二十年毎に遷宮をして、物質を超越した永遠の命・存在感をつむぐ伊勢神宮に象徴される、究極のしなやかさを日本はもっと活かすべきでしょう。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION