年々3,000億ドルを10年ぐらいにわたって行ない、アメリカ中心の世界の金融秩序というのを確立してきているわけですね。そういう戦略がまず必要であって、その基礎には、やはり大国が非常に大きくなっているという問題を、今後の検討の中でどう消化していくのかというのが非常に重要だと思います。
伊藤憲一(議長) どうも坂本さん、ありがとうございました。
秋山さん。秋山さんは前の防衛事務次官で、今、ハーバード大学に研究員として行っていらっしゃいます。
秋山昌廣 きょうの説明と議論の中で、非常に昔の話、歴史の話として、ミノア文明とか、あるいはフェニキア、カルタゴの話というのが出たわけですけれども、そして、かつ伊藤さんのほうから、大陸国家というのは現象的に独裁専制国家、あるいは好戦国家。海洋国家は商業、自由、開明という話があったんですが、フェニキアとか、カルタゴとか、思い返してみると、商業国家であり、都市国家であったんで、あんなところを占領したって、お金は取れるかもしれないけれども、商業権益を奪うというのはあっても、あまり意味のある話ではなかったと私は思うんです。
過去の戦争のことを考えてみますと、明らかに農業地域の支配と資源の支配と、それから最近であれば、もちろん生産基盤というのが対象になっているわけで、都市国家なんていうのは、占領したところで、その商人がいなくなってしまえば全く意味のない話なんですね。商業権益を奪うというのはあると思いますから、昔から戦争はあるわけですけれど。ですから基本的に大陸国家が専制、好戦、独裁で、海洋国家が自由、商業、開明だという分類は、僕はあまり意味がない。もともと商業地域というのは戦争をしたってしようがないんで、戦争をしている国の間でも商業は成り立つわけですから、そういう商業を中心にした都市国家を海洋国家として美化するというのは、僕は間違いだと思います。例えば今、戦争や内線が非常に起こっているアフリカでの部族闘争に対して、海洋国家論争、理論で仲よくしなさいなんて言ったって、全く意味がない話だと思います。ちょっとプロボカティブに、極端に言っているのかもしれませんけれども、そういう感じがするんです。
もう一つは、ミノア文明、あるいはクレタ島に非常にやはりいろいろ私も書物を読むと夢があっていいんですけれども、しかし、歴史の事実は、結局滅ぼされたということを、人間のさがかもしれませんが、武力なしで守れるのかという問題をやっぱり考えておく必要があるんで、先ほど森本先生のほうから海軍力じゃなくて海洋力というのは私も非常にわかるんですが、その海洋力という議論をするときに、海軍力というのはどういう位置づけになるのか。