「我々はあなたの国を占領しようなどとは全く思っていない。我々はインドシナ半島に何の領土的興味もない、と。我々が恐れているのは、ここが共産化すると、東南アジア全体にそれが波及して世界地図が変わるということだ。そのために戦っているのだ」私はこれがアメリカの海洋国家としての1つの側面じゃなかろうかという気がするんです。そういう意味で、僕は21世紀の日本の海洋国家構想というものは、海を通じた相互理解、コミュニケーションの場としての海を考えることだと思います。先ほどの石井さんのお話にありましたように、技術はどんどん高度になってまいりますから、オープン・オーシャン、オープン・ソサエティー、そういう海洋国家というものを考えていったらいいのではないかという気がしております。
伊藤憲一(議長) どうもありがとうございました。
大分、森本さんの歴史に関する議論と、それから石井さんの未来に関する議論とかみ合ってきているように思うのですが、その点をさらにもう少し目に見えるような形に議論を進めたいと思いますが、どなたかいかがでございますか。秋元さん、いかがでしょうか。
秋元一峰 私は去年まで海に出る仕事をしておりまして、飛行機に乗ったり、船に乗ったり、いろいろしていたんですけれども、海に出ますと、ものすごく解放感があるんですね。なぜかというと、だれも見ていないからなんですね。旅の恥はかき捨てじゃないんですけれども。昔、私が海に出たいな、あるいは飛行機に乗りたいなとあこがれておりました20代のころは、まだ技術も発展していないし、先ほどの石井先生の紹介のiモードなんかも全くありませんので、飛行機に乗って海の上に出ると、上司はいないし、だれもいない。私が何をやっているかわからないんですね。
大航海時代、もっと前のフェニキアの時代は、もっとひどい状態にあったはずです。フェニキア人がどのようにしてジブラルタルを越えてアフリカまで行ったのかとか、いろんな冒険の話がありますけれども、その頃は、まだ地球は球形ですらなかったのです。大航海時代もそうで、コロンブスが今どこにいるかというのは、スペインでも全然つかめていなかったわけですから。そのような中で、海洋民族は技術の向上を目指していったのです。何とか安全に航海して戻ってくる技術力、あるいは陸地に、常に、自分が今どこにいて、どういうことをしているのかということを知らせたいという気持ちが通信ネットワークの構築につながってきたのです。それら技術は、乗数的にどんどん発展してきつつあると思います。