オランダも同様でしたし、イギリスなどは、インドをはじめ、多くの島々を植民地化している。海洋力をバックに侵略してしまうわけです。しかし、そのクレタ島にしろ、カルタゴにしろ、あるいはまた、ベネチアのように、あんな小さな町で、あれだけ富んだ“強国”でありながら、別に他国を侵略しようとか、陸地を支配しようとかという、そういう野望は全くありませんでした。私は本来の海洋民族というものは、そういうものじゃなかろうかという気がするんです。
私は日本の海洋国家構想というのは、あくまでもそうした性格のものにすべきだと思います。小さいけれど、大きく開かれた国ですね。先ほどグローバリゼーションという言葉が盛んに出てまいりましたけれども、さまざまな国と海を通じたコミュニケーションにより、あるいは通商によって世界の相互理解を深めていく。そして、自分の文化を、民族のアイデンティティーをきちっと持ちつつ、それを発信していく。例えば、ギリシアがさまざまな国に行って、ギリシア文化というものをひろげ、ヘレニズム時代をつくり上げたようにね。むろん、その下地となったのはアレクサンドロス大王のペルシア討伐だったわけですが、本来、ギリシア人は決してそういった陸的な志向というものをほとんど持っておりませんでした。むしろ、自分たちの都市国家は小さければ小さいほどいいと、そう考えていたんです。
先ほど、シンガポールの話が出ましたけれども、アジアではシンガポールが1つのモデルになり得ると思います。つまり、あんな小さな島、淡路島ぐらいの小さな島でありながら、今、たいへん大きな経済力を持っていることを考えると、きわめて示唆的です。そういった例は歴史上にたくさんある。むしろ、大きな領土は重荷になってしまうということです。
アメリカを先ほど海洋国家と言いましたけれども、アメリカの場合を見ても、自分の本国が広いからというせいかもしれませんが、他の陸地に対する関心をほとんど示してないんですね。例えば、ベトナム戦争をやっても、フランスに引き継いでインドシナを自分の植民地にしようなどという考えは全然ありませんでしたし、日本を負かしても、日本を51州にしようというつもりもなかった。つまり、他民族の陸地にあまり興味がないんですね。
僕はベトナム戦争のときにハノイに行きましたが、そのときに「ニューヨークタイムズ」のサルツバーガー記者がベトナムの高官と行なった問答を読んで、なるほど、と思いました。ベトナムの幹部がサルツバーガーに、あんたたちは何で関係もない我々の土地にやってきて戦争をするんだ、と言ったとき、サルツバーガーはこう答えているんですね。