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日本が海洋国家の道を歩んでいくということを、今流行の言葉を使って別の言い方をするならば、グローバリゼーションを両の腕を広げて引き受けるということになるでしょう。グローバリズムには大きな陥穽がありますし、その中に無防備に飛び込んでいくのは危険きわまりない。しかし、それは否定しようにも否定できない現実です。否応なく引き受けるしかない。しかしグローバリゼーションを引き受けるということは、それに埋没するということでもないし、その嵐を前にして身をすくめて穴の中に隠れてしまうということでもない。それを活用することです。

グローバリゼーションそれ自体に価値があるわけではないし、それ自体が目的でもない。これは日本の国益を維持・発展させる、あるいは日本固有の伝統文化を保守するといったことのための手段である。手段としてのグローバリゼーションだろうと思うのです。そうしますと、海洋国家として日本が進んでいくということも、国家の繁栄、保守を担保するための手段である。私はこのことが海洋国家構想の根本になければいけないと思っています。

これはグローバリズムなるものを追求する日本以外の国にとっては、ごくごく当たり前のことなんですね。グローバリズムという世界主義の背後には、必ず国益、民族主義というものが見え隠れしているというのが現実でしょう。昭和25年に福田恆存さんがこんなことを言っている。「世界主義か民族主義かの二者択一にさいして、躊躇することなく世界主義を採用して惑わぬ国があるとするならば、それは世界主義の採用が同時におのれの民族主義の方向を満足させ得る国家にほかならぬ」と、世界主義すなわちグローバリズムの本質について喝破しているのです。当時、福田さんが批判したのは、ソ連が主唱する国際共産主義という世界主義だったわけですが、これは今日アメリカニズムという名のグローバリズムに置き換えてもそのまま通用すると思う。グローバリズムを声高に主張する国があるとするならば、それはその国のナショナリズムや国益と無関係ではない。だから、アメリカはけしからんと議論するのは簡単ですが、それはあまりにもナイーブに過ぎます。そうではなく、日本はグローバリゼーションというものを自国の国益や伝統文化の保護と関係づけて構想すべきではないか。グローバリゼーションというと、すぐに他者に自分を合わせる、他人の作った物差しを有り難く押し戴く、その際自国の文化が破壊されても仕方がないと考えがちです。実はここに日本の問題があるように思うんです。

誤解を恐れずに申し上げますけれども、みずからのナショナリズムを満足させる、あるいは国益を維持・発展させるためにこそグローバリゼーションというものを活用すべきなのです。

 

 

 

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