勝ったオクタビアヌスは、やがて皇帝の座に着いてアウグストスになります。そして、ここからローマ帝国の伸張が始まる。こうして見ると、大ローマ帝国のきっかけをつくったのは、このアクティウムの海戦であるということになりましょう。
歴史を変えるこうした例は、挙げていけばいくつもあります。例えばギリシアがペルシアの侵攻を阻止したサラミスの海戦、また1571年、レパントでくりひろげられた大海戦もそうです。レパントの戦いとはトルコの海軍に対してスペインのフェリーペ2世と、ベネチアの連合艦隊がトルコ海軍に大勝した有名な海戦です。この決戦はイスラム勢力をそこで食いとめることによって世界史を大きく左右することになる。
こうした海と世界史との関係は、短い時間ではとても全部を紹介できませんが、大航海時代のスペイン・ポルトガルは、その代表的な例でしょう。彼らは大航海時代を出現させ、世界の海を制覇していきました。そして、ついに世界帝国になるわけですが、やがてオランダに取ってかわられる。そして、オランダも海軍国イギリスに覇権を奪われ、イギリスがついに海洋国家として世界大帝国にまでのし上がっていくわけです。イギリスが大帝国にのし上がっていく過程というのを見ると、その転機となったのが、トラファルガーの戦いで、ナポレオンのフランス海軍をネルソンが打ち破ったということが転機になっています。
例を挙げれば切りがありません。あとはこの本(『海洋国家日本の構想:世界秩序と地域秩序』)の最初に私の報告がありますので、それを読んでいただければ、と思います。
それでは、日本の海洋国家としての進路というのはどうなのか、という問題ですが、日本が海洋国家ということに目覚めたのは、何といっても黒船の来航によってでした。これは大変だ、ということになりまして、以来、海軍力の増強に邁進するようになったわけです。そして、明治になると、いよいよ建艦が盛んになる。やがて日露戦争でロシアのバルチク艦隊を撃破することによりすっかり自信をつけた日本は、いよいよ海軍力で勢力を伸張しようということになったわけです。それがどんどん軍国主義的に拡大していったあげく、太平洋戦争へと突入する。その運命の分かれ目もミッドウェーの海戦でした。日本はミッドウェー海戦に破れアメリカに敗退するわけです。
アメリカは強力な海洋国家です。アメリカ人を海洋民族と言うのはおかしなように思われますが、アメリカというのは大きな島でありまして、強大な海軍力によって、世界の警察官たる自負を持っているのです。そういうことを考えますと、海を制するということが、いかに歴史と深くかかわっているか実感できると思います。