私はそれを読み、大いに考えさせられるところがありまして、そういう観点から、もう一度世界史を振り返ってみますと、確かにそのとおりなんですね。最初に海に乗り出していった民族が、必ず世界史の節目節目で大きな勢力となり、また、歴史の転換をもたらしているという事実が、いろいろと指摘できるわけです。
最初に私が取りあげたいのは、ミノア文明です。あの輝かしいギリシア文明のもとになるものが、そのミノア文明なんですね。この文明というのは、エーゲ海に浮かぶクレタ島を中心として栄えた海洋文明で、ミノスという王が君臨しており当時のキクラデス諸島すべてを支配していたとされていますが、それは独裁的な支配ではなく、むしろ交易のネットワークを組んでいたと言うべきでしょう。
私は何度かこの島を訪ね、この文明がクレタ島という小さな島であるにもかかわらず、大変豊かであり、かつ極めて平和な島であったことにおどろかされました。そして、その繁栄が通商によるものであることを改めて知らされたわけです。この島には有名なクノッソス宮殿があります。ミノス王の居城と言われております。そのクノッソス宮殿をアーサー・エバンズというイギリスの考古学者が発掘したのですが、そのたたずまいが、じつに独特なんですね。城でありながら、まず城壁というものがまったく見当たりません。そして、その城のいろいろな部屋を見て歩きますと、各壁面に描かれているのは、魚とかタコとか、イカなどの海産物、あるいは草花など、優しい平和的な図柄ばかりなんですね。これは私の想像を超えるものでして、それがこの文明の性格を、なによりもよく語っているように思えました。このようなミノア文明がどうして当時のエーゲ海を支配し、通商圏を組織して繁栄を誇っていたのか、ということは、今後の歴史にある意味の示唆を投げかけているのではないかという気がしてならないわけであります。と申しますのは、彼らは強大な海軍力を持ちながら、決してキクラデスの他の諸島を侵略するということもありませんでしたし、まして対岸のギリシアであるとか、あるいは大陸に勢力を拡大させていくようなこともやりませんでしたし、むしろ自分たちの島を中心としながら、友好関係によって平和的な通商圏を形成していった。ミノア文明の始まりというのは紀元前3000年といいますから、今から5,000年も前のことです。しかし、ミノア文明がミノス王の時代、全盛期を迎えるというのは紀元前1600年ぐらいのことです。今とは3,600年の開きがありますから、歴史環境はまったく違いますが、クレタという小さな島が周囲のさまざまな民族と共存共栄を図っていたという構図は、何かしら現在の日本にとって、示唆を与えるのではなかろうかという気がいたします。