どうも本土では8月15日に、アジアの多大なる被害とか、苦痛とかいう言葉が毎年の式典のあいさつになっているのですけれども、今、それを取り除きましょうという提案者があらわれている。日本が唯一戦争の責任者であって、すべての悪は日本であるというわけではないのです。だから、責任を認めるということには、それなりの責任があり、自分の責任を認めた上で、第三者の責任を初めて口にすることができると思うのです。そういう態度で臨まなければ、なかなかアジアとはうまくいかないと思うのです。
きょうの新聞に、イギリスの占領の話で、イギリス政府が日本政府のかわりに補償を担当するというニュースがあったばっかりなのですけれども、これは外交話題として交渉するものではないのです。これは個人一人の気持ちの問題ですが、毎日おわびするということでもない。とにかくその話題を避けて通るということではどうも日本の評判はなかなかよくならないということなのですけどね。
95年の村山政権のときの発言は、発言としては非常によかったのですけれども、交渉上の発言がいかに心で感じていないものであるかということを、それはよく示してくれたと思ったのです。自民党が政権を再び把握するために、社会党の総理大臣を任命した唯一の政権が発言ができたという感じを、全世界に見せたというようなことになったと思うのです。この例は少し考える必要があると思うのです。
皆さん、今晩、述べられたとおり、私の経験でつくづく真実だとわかっているつもりなのですけれども、ただ、口にしないようではちょっと問題があるのではないかなという感じがするのですね。外人は肌でわかってくれるということは、ちょっと期待すべきでないと思うのです、特にアジア人の場合には。
伊藤憲一(進行司会者) どうもジェームソンさん、ありがとうございました。
まだご発言いただいていない方がかなりおられますので、じゃ、山田さん、どうぞ。
山田寛 まず、伊藤先生がさっき言われた、要するに日本で議論にならないというのは、僕は読売の立場では全くないのですけれども、憲法は僕、全く関係ないものですから。ただ、読売の憲法提言というものを出したときに、朝日新聞とか東大の法学部は全く黙殺なのです。つまり、僕などは外野席みたいなものですから、議論をすればいいではないか、「読売、けしからん、渡辺社長で、これじゃ、心配だ」というふうなことをさんざん言えばいいと思うのだけれども、朝日新聞や東大法学部は黙殺だったですね。だから、そういう国なのですね。