完全な黙殺。それが日本人の風土だというのなら、これは小林さんが指摘されたように、言葉、言語というものに対する日本人の驚くべき冒涜だと思います。
小林さんに触発されちゃって話が大分脱線しちゃいましたけれども、これは日本文化のよくないところですね。そういうものも直視して議論していきたいなと思うわけです。
ジェームソンさん、そろそろ登場していいんじゃないですか。
サム・ジェームソン 非常におもしろいお話だと思うのです。私も今、本を書こうとしているわけなのですが、この話を新しいチャプターとして書き足したいぐらいなのです。まず、例えばアジア通貨基金などの日本の提案が、アメリカにつぶされた。そのとおりなのですけれども、それは他方で、日本は提案を出してからすぐ引っ込めたのですから、ほとんど主張しないでやめたわけなのです。後でアジア通貨基金はいいアイデアだという発言を現職の当局者から聞いたことがあるのですから、あまりにも引っ込みが早かったと私は思うのです。
それから、日本人のアイデアは決して悪くないということは幾つか証拠があるのです。G7という考え方はだれが最初に提案したのか、ほとんどの皆さんはご存知ないかと思いますが、実はジスカールデスタンではなくて橋本登美三郎なのです。1971年に、我々外国特派員を集めて特別の会見をしたときに、G5の首脳会談を毎年やるべきであると提案をしたのです。ただし、我々の「日本政府は公式にいつ提案をしてくれるのですか」という質問に対して彼は「いや、日本はそんな発言権はありません。アメリカにこれは提案してほしい」と答えたのです。そして、4年後にジスカールデスタンが提案をしたのです。それがずっと続いてきたのです。
あるいは1980年代の終わりの中南米の債権の問題なのですけれども、宮沢さんがそのときにG7で提案をしたのですが、当時、アメリカは断ったのです。1年たってブレーディー(Brady)構想という名前でほとんど同じものがアメリカから提案されたのです。日本は非常に礼儀正しく、黙って、何も文句を言わずにブレーディー提案を受け入れてくれたのですけれども、実は宮沢案にほとんどそっくりなのです。日本が自分の提案だと主張しないうちに、アメリカは同じ言葉を利用して使ったのです。だから、提案をするのだったら、アメリカにつぶされると文句ばかり言わないで、もう少し力を入れて提案をすべきだと思うのです。
ただ、反面において今晩の皆さんの悩みは、何だか、日本人のアイデンティティを探しているような感じがするのです。