日本人は外国で、国内と同じ“目”の対応をすれば、『へりくだれば押し込まれ』『頷けば合意』ととられ、それで『困れば優柔不断の卑怯者』と威圧的に抑え込まれてしまうことになる。そのことを理解しなければ、日本人は世界の人々との本当の付き合いは始まらないと思います。
日本人が真の国際化をして、世界の人々に伍して対応するには、幼児期の多音声言語(英語をはじめとする外国語)教育を一刻も早く始めることに尽きますね。でないと、いつまでも経済一流、人間三流と言われっぱなしでは、あまりにも寂しすぎると思うのです。
実例として、私は先月ルーマニア国営テレビを動かし、日本特集で4時間の大番組を立ち上げて、自らその番組に出まくったという、まことに非日本人的な態度で終始押し通してみました。その番組を見た現地ルーマニアの新聞記者が「日本人のイメージが全く変わった。常に控えめで、時には冷たいというイメージの偏見があったが、我々ラテン人と何ら変わらないと分かって、本当に親しみが持てた」という大きな記事となった。
日本とその国のカルチャーをしっかりと対比して、違いがはっきり見えたら、自己演出してその国に飛び込めば“日本人も何とかなる!”とつくづく思いましたよ!私独特の意見かもしれませんが、ちょっと視点を変えて喋ってみました。
伊藤憲一(進行司会者) 小林さん、どうもありがとうございました。大変フレッシュな見方を導入していただいてありがたく思います。
考古学の世界で最近、大事件がありましたけれども、藤村新一さんという人が次々と前期旧石器時代の石器を発見するということで、「ちょっとおかしいんじゃないか」といって論文を書いた人もいたようですね。ところが、その人の論文は、これまで全然無視されていたらしいのです。
なるほどと思ったのですけれども、国際問題の分析や評論の場合でも、だれかがだれかを批判した論文が発表されたとしても、見ていると、批判された人がきちっとそれを受けて反論しているというケースは、10人に1人いるかいないかですね。9人は黙殺。これが日本の社会では一番有効な反論の方法と認識されているということですよ。だれも反論しない。