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伊藤憲一(進行司会者) どうもありがとうございました。このテーマについて、それでは、私、一つつけ加えたいことがあるのです。私は、太田さん、それから遠藤さんがおっしゃったこと、ともに同感なのですが、それをまとめていくとき、「西欧化にとどまらない近代化」というふうに遠藤さんはおっしゃったのだけれども、「近代化はよいことなのか、悪いことなのか」という観点を持ち込むと、それは特定の社会の発展段階に依存していることなのであって、中世的な時代において個人が非常に抑圧されていて、人権とか民主主義が否定されていた発展段階では、そういう状態から抜け出して発展していくことが重要であり、それが近代化ということで、プラスの価値であったと思うのです。

ですから、そういう段階の話と、それからもう一つ、ある意味で20世紀を通じて近代化というのは、特に欧米、日本などの先進的な地域でもう極限まで来ていて、近代化というのは、中世が抱えていたいろいろな問題を解決して、克服するという話ではなくて、環境問題の悪化であるとか、核兵器による人類絶滅の危険性だとか、あるいは行き過ぎた個人主義による家族とか社会とかの崩壊とかという、近代がむしろ今度はマイナスの側面を露呈し始めているわけで、そのときにこれを超えて、それが「超近代」なわけですけれども、「超近代」の文明をどういうふうにして築いていくかという、その段階における「近代化」とでは、同じ「近代化」でも意味が違ってくると思うのです。この段階に入ると近代と同じ発想をしていては問題の解決策が思いつかないわけです。

近代と全く違った発想をしようと思えば、近代と全く反対の発想をしていた中世を参考にしてみようということになるのです。近代人というのは、昨日よりも今日が、今日よりも明日がよくなる、これが進歩ですけれども、その進歩を追い求めて、すべての価値判断の基準を「進歩か保守か」という次元に還元して、この場合進歩がよいことという含意があるわけですが、判断しようとします。他方中世に生きていた人たちは、昨日のように今日があり、今日のように明日がある、年々歳々すべて変わることがない、これが当たり前の世界に生きていたわけで、そういう世界における価値判断の基準というのは「正統か異端か」なのです。「進歩か保守か」ではなくて、「正統か異端か」なのです。絶対的な価値があって、中世ヨーロッパなら聖書、アジア・東洋なら論語とか、イスラム世界ならコーランとか、そういう絶対的な価値があって、それが「正統」であり、これに対して、それから外れるものが「異端」だったわけです。「正統か異端か」という判断だけだったわけです。

 

 

 

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