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伊藤憲一(進行司会者) どうもありがとうございました。

それでは、太田さんにレスポンドしていただきたいと思うのですが、ちょうど私、きょう昼に出ていたある会議で得たばかりの知識なのですが、イランが言い出しっぺで国連が主催する「文化の多様性セミナー」というのが近く開かれるらしいのです。多分そのセミナーなどが意図しているものというのは、太田さんがお考えになったようなことなのかなと思った次第です。

それからまた、「エイシャン・バリュー」ということがリー・クアンユーとか中国とかによって言われているのですが、それは特に民主主義とか人権とかの解釈について、欧米とは違う「アジアの価値」ということで言われているわけですが、これは太田さんのご理解ではどういうことになるのかちょっと追加してお話しいただけると、議論を深めるのに役に立つのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

大田博(問題提起者) 江畑さんのご質問、西欧化でない近代化というものはあり得るのか。これは、江畑さんもおっしゃったようにそれぞれの定義の問題にもなるので、非常に難しい点が含まれている。現実的に見れば、近代化はいろいろな側面があって、産業化が一番の中心ですけれども、そのほかに社会体制的な政治のシステムといったものも入ります。これを現象面で見ると、よくマクドナルド、コカコーラで象徴されるように、どこの国も非常に似てきているということはあるのですが、先ほど申しましたように、例えばアジアあるいは中近東の国から見ると、日本は近代国家、産業国家といってもやっぱり欧米とは違うというのです。これは表面的なシステムというよりも、その背景にある物事の考え方とか、価値観を言っているのではないかと思います。

先ほど渡邊幸治外務審議官のお話しをちょっと申しました。すなわち例えば自由競争といっても、アメリカの考えている自由競争と日本の考えている競争というのは全然違うというのです。日本の競争は1つのルールの中の競争といった色彩が強い。したがって、中では激烈な競争をするけれども、外に対しては排他的になり易い。同じ市場経済で競争といっても、日本人の考えている競争と、アメリカの考えている競争と違うというわけです。同じようなことが例えば個人主義、民主主義についても言える。ということで、例えばサウジアラビアとかタイがどういうことを考えているかというと、やはり近代化して全く表面的には西欧と同じような生活パターンになっても、さっきの和魂に相当するところまでは西欧化したくない、伝統的な価値観とか、そういうものは残したい、ということを言っております。

 

 

 

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