日本の文化あるいは文明の中には、これから生まれてくるであろう、近代文明を超えた新しい文明の形成に貢献できる要素が、実は幾つかあるのではないかということが指摘されております。例えば和を重んずる寛容な精神で、これは一番典型的に出ているのが日本人の宗教観だと思います。キリスト教とか、ユダヤ教、イスラム教のような一神教とは違う寛容な精神であります。それから、自然との共生の思想。これは、その系として、慎ましさとか、資源を大切にするというのも入っている。川勝教授は、省資源型のガーデン・アイランド国家ということを言われました。あるいはネットワークの重視があります。これも個人主義とか論理を貫徹しがちな近代文明にはない日本の特色で、こういうものが近代文明の中では欧米と違うということで異端視されていたのですけれども、これが超近代文明ではむしろ普遍的なもの、本流になる可能性を秘めている。これは日本が知的貢献を世界に対してするということですけれども、これは今までの議論に出ていましたように、日本人があまり得意とするところではないわけでして、プレゼンテーションの力が弱いとか、英語の力が弱いとか、そういうのがもろに影響してくるのですけれども、日本にとって大変なチャレンジであることは間違いない。もしこの面で日本が貢献できれば、大げさに言えば、文明の歴史に日本が名をとどめることになるのではないかというふうにも言えると思います。
続きまして、地域レベル、地域の秩序レベルで日本は何をなすべきかを議論したいと思います。私の提言としては、メモに書いてありますとおり、東アジア地域の協力体制強化への寄与ということであります。アジア経済危機を通じて浮き彫りにされたのは、1つは、東アジア、東南アジア地域がいかに日本に経済的に依存しているか、それから、いかに日本への期待が大きいかということでありました。日本はIMFのスタンドバイクレジットの供与、新宮沢構想等でその期待にこたえたわけでありますが、もう一つ、浮き彫りにされたのは、こういう危機に対処する地域協力体制が東アジアにないということであります。ASEANがあるけれども、こういう危機に対処する機構ではない。日本が途中でアジア通貨基金構想を打ち上げましたけれども、アメリカの反対でつぶされました。その間に、ASEAN+3という動きにかなりはずみがついてきた。これは、実質上何年か前にマハティールが言っていたEAEC構想なのですが、EAECというときにはアメリカがマハティールということもあって反対しましたが、そのうちに首脳レベルの会合から始まって、ASEAN+3という動きにはずみがついてきている。